犯人逮捕まであと一歩だった…「八王子スーパー強殺事件」発生から30年 全面解決目前に捜査を潰した捜査員たちの大罪
暗礁に乗り上げた捜査が、再び動き出す
凶器となった回転式拳銃はフィリピン製のスカイヤーズビンガム(38口径)。警察庁科学警察研究所による遺留弾丸の鑑定から“銃の指紋”線条痕が97年8月、大阪厚生信用金庫深江支店(当時)が襲撃され、現金約330万円が強奪された未解決事件のものと酷似していることが判明。同一銃による犯行と見られている。
当初、警察が捜査対象として重視したのは、金銭トラブルなどを抱えていた稲垣さんの交友関係だ。怨恨説から浮かび上がったのは彼女の愛人。二人の間には別れ話が持ち上がっており、男性は5000万円を要求されていた。
「彼女は“近々、5000万円の保険金が手に入る”と周囲に話していました。でも、該当する保険は存在しなかった。当局は、稲垣さんがこの愛人からの手切れ金を当てにして、吹聴していたものと見ています」
と言うのは、当時、取材にあたっていた記者。
「男性にはアリバイがあり、粘着テープに残されていた指紋の一部やDNAとも合致しなかったので、外部依頼説で捜査が続けられた。しかしその形跡は掴めず、“シロ”との判断が下されました。捜査は暗礁に乗り上げた」
行き詰っていた捜査が大きく動き出したのは、2009年のことだった。前出の原が語る。
「覚醒剤所持で中国公安当局に逮捕され、大連の拘置施設で拘留されていた日本人が“八王子の犯行グループを知っている”と言い出したのです」
「八王子のスーパーの強盗殺人。あれは自分のグループがやったんだ」
男の名は武田輝夫。日本でも薬物や強盗の犯罪に手を染めていた。2000年からは中国人の犯罪者グループと手を組み、「日中混成強盗団」を結成。中心メンバーとして各地で資産家を狙った強盗を繰り返し、9都県で計17件、約6億円とも10億円ともいわれる金品を強奪したとされている。武田は、身辺に捜査の手が伸びているのを察知して、2002年11月に中国に逃亡。その後、当地でお縄となり、06年、麻薬密輸で死刑が確定していた。
警視庁は日中刑事共助条約に基づき、警察庁を通じて中国側に協力要請して捜査員の派遣を協議。2009年9月、当時、現場で事件を統括する管理官だった原ら警視庁から3人、警察庁から2人の計5人が大連に飛んだ。
中国の公安当局監視のもと、大連の拘置施設で取り調べが始まった。この追及に武田はどう答えたか。彼はもったいぶることなく、淡々と語ったという。
〈ぼくが中心となった日中混成強盗団のメンバーに、K・Rという中国人がいた。もともと中国人だけで高級ブランド品や貴金属を盗む窃盗団をやっていた。資産家リストなんかの情報を持っているぼくと組むようになってから、資産家宅を狙うようになった。このKがぼくにこう漏らした。“八王子のスーパーの強盗殺人。あれは自分のグループがやったんだ”と〉
さらに武田の口から飛び出したのは驚きの内容だった。
第2回【捜査線上に浮上した「中国人」…強盗団リーダーが明かす「ナンペイ事件」の裏側 「強盗は少ない人数でやると失敗する。だから、失敗したんだ」】では、ついに浮上した事件のキーマンについて詳報している。




