北極点をめざした冒険家には「美し過ぎる女優時代」があった―― 石井ふく子さんが振り返る和泉雅子さんの“素顔”

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は7月9日に亡くなった和泉雅子さんを取り上げる。

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「売名行為」とうわさに

 1984年、当時37歳の和泉雅子さんは北極点に立つと決意した。零下40度もの酷寒の氷原800キロ余りをスノーモービルで走破、同行者はいるが約2カ月を要す命懸けの道程である。

 芸能レポーターの石川敏男さんは思い返す。

「なぜ行くんだ、と驚く以前に意味が分からなかった。スキャンダルもない堅実な女優、かつては吉永小百合、松原智恵子と共に日活三人娘と呼ばれたスターです」

 乱心か、いや売名行為ではとうわさの的にされてしまう。動機は単純だった。テレビ東京の番組のレポーターとして南極を長期取材。今度は“地球のてっぺん”を目指したくなったのだ。

 専門家を訪ね意欲を語るが、考えが甘いと諭される。それでも諦めず、植村直己さんの夫人の力添えにより計画は具体的に動き出した。

 85年、北極点を目指すも、あと150キロほどの地点で氷の大きな割れ目に行く手を阻まれてしまう。断念に終わったこの冒険に約1億3000万円を要した。全財産を投じても6000万円の借金を抱え、地道に講演を続けて完済した。

 元芸能レポーターの藤田恵子さんも振り返る。

「再挑戦の姿から決して女優の片手間ではない覚悟が伝わった。ニコニコしているけれど信念ある強い人だと共感を集めたのです」

 89年、見事に成功。日本人女性初の北極点到達だ。

大スターから「この子はうまい」と太鼓判

 47年、東京・銀座生まれ。10歳から劇団若草で活躍し、61年、日活と契約。喜劇に興味があったが、美人過ぎてコミカルな役は来なかった。主演した「非行少女」(63年)はモスクワ国際映画祭で金賞の栄に輝く。

 映画評論家の北川れい子さんは言う。

「審査員を務めていたフランスの大スター、ジャン・ギャバンから、この子はうまい、さらに伸びると称賛されています。ハキハキした娘役が一番似合っていましたが器用で何でもできた」

 高橋英樹との「男の紋章」シリーズや、舟木一夫との「絶唱」で好演するも日活の経営が傾き、テレビへの出演が増える。求めに応じきわどい役もこなすが、疑問を抱く。心の温かさやロマンのあるドラマに憧れた。

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