読書のかわりに「AIと会話」している古市憲寿が最近面白かった話題とは?
告白すると、読書量が激減している。もちろん仕事柄、平均に比べれば本は読んでいる方だと思う。最近でいえば、宮台真司さんの『制服少女たちの選択 完全版』も買ったし(宮台社会学はついに「歴史」に属したという思いを強くした)、『マジカル博物館ツアー』は眺めているだけで楽しかった(ただし掲載されている博物館に行こうとは思わない)。
では読書に充てていた時間に何をしているのか。AIとの会話である。例えば10年前であれば、ある国の歴史について知りたい時は本を読んでいた。当時もインターネットはあったが、情報の質は玉石混淆である。タイパよく信頼性の高い情報に触れようと思ったら、著者はもちろん編集者や校閲の手を経た本を読むことが最適解だった。
だがAIは最新の研究を交えながら、手際よく知りたいことを教えてくれる。日本語で書かれたある本に「産業革命を経た18世紀末のイギリスは中国の3倍豊かだった」という趣旨のことが載っていた。これはアンガス・マディソンなどによる古い研究を基にした推計で、最近はもっと数字に幅を持たせるし、イギリスや中国内における格差にも気が配られるようになったというのがAIの指摘。きちんと出典も示してくれるから、必要なら論文を読めばいい。もちろん自動翻訳で内容を把握してもいいし、要約してもらってもいい。指示を出せば、各国語で書かれた最新研究も調べてくれる。一流の本は別として、並みの本ならAIと対話した方が、はるかに自分の知りたい情報を得た上で、思索を巡らすことができるのだ。
最近、AIと議論して面白かったのは、平均1.7メートル前後という人間の身長が、この文明にどれくらい寄与したか、ということ。
仮に人類の身長が20メートルあったらどうなっていたか。そもそも骨や筋肉が体を支えられない可能性が高い上に、食糧余剰が発生しにくいので高度な文明は持てなかっただろう。現代文明でも、彼らが居住できるような超高層ビルや巨大飛行機を作るのは難しい。
一方で人類の身長が20センチだったらどうか。小さな脳では高度な思考ができないという問題をおくとすれば、資源とエネルギーは使い放題になる。食糧問題も起こりにくい。初期の半導体なら「手仕事」で作れてしまう可能性もある。
ただし猫が大型捕食者となるので、物語などの猫に対する描き方は大きく違っただろう。少なくとも古代は恐るべき巨獣だったはずだ。AI相手なら、本と違って気になったことはどんどん追加で質問をしていける。小型人類が考えそうな「猫神話」や「猫昔話」を書いてもくれた。
そういうわけで読書時間がAI時間に移行しつつある。旅先で歩いてる時も、お風呂に入っている時もAIと音声で会話している。実はAIは高齢社会とも相性がいい。老眼人口の増加と相まって、出版市場はどこまで小さくなるのか。それもAIにレポートを作っておいてもらいます。





