「玉木さんを恨む気持ちは全くありません」山尾志桜里氏がインタビューで明かした「公認騒動中に言い出せなかった本音」
参議院選挙で国民民主党からの公認取り消しを受けながらも無所属で出馬し、落選した山尾志桜里氏が「デイリー新潮」のインタビューに応じた。なぜ無謀にも見えた戦いにあえて挑んだのか。そして玉木雄一郎代表に対して今どのように思っているのか。数々の疑問を直撃した。(前後編の前編)
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【写真14枚】汗だくになりながら吉祥寺駅前を激走する山尾志桜里氏。“男性ファン”たちとも快く交流
時すでに遅し、と思い始めていた
「まだ1日も休めていないんですよ」
決戦から4日後の7月24日。インタビュー会場に現れた山尾氏の声はやや掠れていた。参院選東京選挙区に無所属で挑んだ結果は、32人中16位の落選。肌には日焼けの跡も見受けられ、満身創痍といった印象を受けたが、表情は終始晴れやかだった。
まず聞いたのは、デイリー新潮でも度々伝えてきた、国民民主党から公認取り消しを受けるまでの経緯である。
――国民民主党から公認の正式発表がなかなか出なかった期間はどのような気持ちでお過ごしになっていたのですか。
「元々玉木さんからお誘いを受けた時点で、国民民主党に対しては2020年の結党時との違いを感じていました。時間の経過とともに少しずつ右傾化し、ポピュリズムに走っているなと。だから党に戻ったら、結党時にあった『中道政治』へ引き戻す役割を負いたいという思いがあったのです。
実際、幹部の方からも、憲法だけでなく、そういう役割を担ってほしいと言われていました。ただ、決まったけれども決まらないという宙ぶらりんの扱いを受けながら、時すでに遅しだった、とは思い始めていました」
3段階あった「待て」
――記者会見を開きたいと訴えても、待てと言われ続けて開けなかったことを受けてのことですね。
「はい。まず4月22日に私を国民民主が擁立するという報道が出た後、私の過去に対する批判がSNS上で出てしまったことを受けて、本当は翌23日に玉木さん、榛葉さんと一緒にやる予定だった出馬会見がキャンセルになりました。その後、公認発表自体も、まずは『SNSの批判が落ち着くのを待とう』と1週間待たされ、次に『愛知に入らないでほしい』という要望が急に出てきてさらに1週間、最後は『他の3人の候補者(足立康史氏、須藤元気氏、薬師寺道代氏)と一緒に合わせて公表したい』という理由でもう1週間延期になってしまいました。
このように一部の批判を受けて浮き足だった対応を取ることに、ポピュリズムへの偏りを感じていたのです。結局、5月17日にようやく発表していただき、玉木さんと一緒に赤坂で街頭演説をしたのですが、正直言うとこの時点でこの党で活動していくのはもう難しいかもしれないなと思い始めていました。
――結局、6月10日、国民民主党候補として一人で出馬会見を開くことになったわけですが、その前から国民民主党への気持ちが冷めていたと。
「はい。公認内定の決定は受けていたし、一度自分も出馬すると決めてそれが世間にも知れ渡っている以上、自分からやっぱりいいですと言うのも政治家として無責任な話です。自分から引き返すわけにはいかない状況にありました」
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