公立中学に通う13歳の少年が“ゴルフを始めてわずか5年”で世界一に輝いた理由 マスターズ出場を目指す「小澤優仁」の現在地
世界中から170人以上の選手が集まり技を競う「Uswing Mojing世界ジュニアゴルフ選手権」が今年もアメリカのサンディエゴ(7月8日~10日・現地時間)で開催された。2022年の大会勝者で、昨年は惜しくも2位で大会を終えた小澤優仁(おざわひろと=13=)は、今年も13-14歳の部に出場。3年ぶりの優勝を目指したものの、得意のパットでスコアを伸ばせずに、10位)でラウンドを終えた。この大会では悔しさを噛み締めていたが、今年からさらに上位の大会がひしめく世界最高峰のジュニアツアー「AJGA(アメリカジュニアゴルフ協会)」に単身でホームステイをしながら本格参戦し、さらなる飛躍を目指す小澤選手に、ゴルフとの出会いやわずか5年間で世界一に上り詰められた理由について語ってもらった。
【写真】「夢はマスターズ出場です」と目を輝かせて語る13歳ゴルファー・小澤優仁選手の姿
父のコンペをきっかけにゴルフに没頭
小澤優仁選手は、東日本大震災後の2011年10月、サラリーマン共働き家庭の長男として、東京都府中市で誕生。後に生まれた8歳の弟、5歳の妹と共に家族5人で生活している。
現在は地元の中学校に通いながら、国内外のツアーへの出場を続けている小澤選手が、ゴルフを本格的にスタートさせたのは、小学校1年生の時。「友人とゴルフコンペに参加している父の姿を見て楽しそうに思えた」ことがきっかけだったそう。父と一緒に“打ちっぱなし”のゴルフ練習場に出かけ、そこからゴルフに魅了された小澤選手は、小学校1年生で父と共にラウンドデビューを果たすと、父にかけられる前向きな言葉や周囲の大人からの温かい応援に背中を押され、みるみるうちに実力を伸ばしていった。
「僕が人生で初めて試合に出た時に、『世界ジュニアゴルフ選手権で優勝した根本悠誠選手にゴルフが似ているね』と言われたことがあって、そこから「世界」という言葉に興味を持つようになった。『僕ももっとゴルフが上手くなって、世界で活躍出来るようになりたいな』と思うようになり、そこから練習に励むようになりました」
いつかマスターズに出たい
そんな小澤選手の夢に向かう思いをさらに加速させたのは、毎年4月にアメリカで開催されるマスターズ・ゴルフトーナメント(ジョージア州)で躍動する海外ゴルファーの姿だった。
「タイガー・ウッズ選手が復活優勝を果たした2019年や、ダスティン・ジョンソンが通算20アンダー、68の新記録で初優勝を飾った2020年大会は、特に記憶に残っています。(13番からの3連続バーディーなどでライバルを突き放した)ダスティン・ジョンソン選手の活躍や、マーカーを使わずに短いウイニングパットを沈めた姿に本当に驚かされて。朝早くに一人でテレビを見ながら大興奮していました。そして気づいた時には『いつか自分もマスターズに出てみたい』と思うようになりました」
チケットを買い、楽しみにしていた東京五輪
だが、憧れのスターの姿を間近で見ることを待ち焦がれた2020年7月の東京五輪は、コロナ禍の影響により1年間の延期。その後に無観客開催が決定し、必死の思いで手にした五輪のチケットがその役割を果たすことはなかった。
「五輪のチケットを買って大会を楽しみにしていたんですけど、無観客開催が決まり、入場できなくなってしまって。ザンダー・シャウフェレ選手(アメリカ)の金メダル獲得は嬉しかったですけど、試合を観戦できなかったのは今でも本当に残念でした」
世界への思いが大きくなっていく小澤選手は、小学3年生になると、地元の有名な先輩の紹介で「多摩ヒルズゴルフコース」に訪れ、その際にPGAプロの資格を持つマネージャーとラウンドした際に、ハーフで-3というベストスコアを出して驚かれ、多摩ヒルズで練習ができるようになった。
多摩ヒルズゴルフコースは、米軍横田基地のレクリエーション施設であり、中には多くのアメリカ人や外国人がいるため、ゴルフが上手くなるだけではなく、国際感覚も同時に養うことが出来た。
さらに、多摩ヒルズには、ナショナルチームに選抜された高校生など彼のお手本になる先輩が多くいたため、ゴルフの技術もめきめきと成長していった。
そのような環境で成長していった小澤選手は、五輪が開催された2021年に日本ジュニアゴルフ協会(JJGA)の年間チャンピオンに。翌年の世界ジュニアゴルフ選手権(アメリカ・サンディエゴ)の挑戦権を掴むと、異国の地でも3日間合計7アンダーと安定した強さを見せ、見事に優勝を勝ち取った。
「海外はおろか、飛行機に乗ることすらも人生初めて」という状況で大舞台に立った小澤選手は、慣れない環境でも堂々としたゴルフを披露。最終日には首位を2打差で追う中、連続バーディーで首位に並ぶと、プレーオフでは当時アメリカ1位と言われていた選手を振り切り、逆転で大会を制した。
「実際にアメリカの大会に出場してみて、日本よりもコースが広く、『飛ばせる選手が多いな』と感じました。まだ飛距離では負けてしまうこともありますけど、『通用しないな』と落ちこむほどではなかったと思います」
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