「加害少女」は社会復帰、父親は自殺…「佐世保高1女子生徒殺害事件」 同級生を殺害・解体した15歳の“本当の顔”
家族のエピソード
だが、そんな母親を襲ったのが、すい臓がんだった。このがんは進行が早く、生存率が低いことでも知られている。昨夏に病巣が見つかると、少女の母親はわずか3カ月後の10月に亡くなってしまう。今年1月末の地元紙には、母親をしのぶ家族のエピソードが紹介されている。父娘で国体のスピードスケート競技に出場したときのものだ。
〈昨年7月、当時51歳だった妻の××(名前)が、腹部の痛みを訴えた。検査の結果はがん。医者からは「手の施しようがない」と告げられた〉
痛みに耐える妻を前に、夫は何も手につかなくなりそうだったという。
〈そんな生活が続いていたある日、妻が夫に優しく語り掛けた。「頑張っているあなたが好きなんだから」。(中略)「スケートどころではない」とも思ったが、妻のあの言葉が背中を押してくれた。(中略)迎えたこの日、霧降スケートセンター。今年は長女と一緒に、妻との約束のリンクに立った。「娘も無事に滑り終えてくれ、家族にとっての集大成の大会になった。妻がいたら2人の名前を応援してくれたんでしょうね」。胸に熱いものが込み上げてきた〉
金属バットで父を殴る
スケートリンクでも亡き妻のことを忘れない夫。だが、その後にとった行動は、少女Aにとって驚くべきものだったに違いない。
「Aのお父さんは、しばらくすると婚活パーティーに顔を出すようになったのです。そこで射止めたのが21歳も年が離れた有名大学出身の女性でした」(Aの知人)
そして、今年5月、父親は再婚。少女Aは一足先にマンションに引っ越していた。
「Aの父親は、以前、フェイスブックに娘から“バカボンパパ”をデザインしたケーキをもらったと書いています。自分の父親をバカボンパパになぞらえるとは、ずいぶんな扱いですが、今年の春にはもっと酷い事件が起きている。再婚に反発したAが、なんと金属バットで父親の顔をぶん殴って重傷を負わせたのです。そんな父娘の関係だから、Aはスケート競技も好きではありませんでした。練習は福岡市のリンクまで行ってするのですが、彼女は行くのを嫌がっていましたから」(社会部記者)
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事件後、少女Aは長崎家庭裁判所に送致され、少年審判を受けた。
審判の最中の2014年10月、少女の父親が自宅で首を吊り、自殺を遂げた。事件後は「このまま生きていていいのか」「どうやって償っていけばいいのか」と周囲にしきりにこぼしていたという。
そして事件から1年後の2015年7月、少女Aの第3種少年院(旧・医療少年院)送致が決定した。その際の家裁の決定文にはこうある。
〈少女は小学5年時、見かけた猫の死体にひきつけられ、猫を殺すようになった。中学では、猫を殺した後に解体するようになり、さらに人を殺したいと思うようになった〉
〈少女は重度の自閉症スペクトラム障害(ASD)であり、併存障害として素行障害を発症している〉
〈猫を殺す自分に苦悩しつつ、その一方で猫を殺すことでは満足できなくなり、解体を始め、さらには殺人欲求を抱くようになった。その後、実母の死を体験したことで殺人空想が増大し、殺人欲求が現実感を帯びていき、本件非行に至った〉
〈少女の特性や非行メカニズムに応じた治療教育の実施が期待できる第3種少年院で処遇することが望ましい〉
少年院は20歳までの収容が原則だが、少女Aは2018年に3年間の収容継続が決定。2021年にも「収容者の精神に著しい障害があり、矯正教育を継続する必要がある」とさらに3年間の収容継続が決まった。しかし、収容の最大の年齢である26歳を迎えた2024年には、彼女が既に出所していたことが明らかになった。
少女Aは更生できたのか。その答えは、事件から11年経った今でも少年法の闇に包まれ、未だはっきりと見えてはこないままである。
【前編】では、自宅マンションの一室でクラスメートを殺害し、一心不乱にその遺体を解体する――血も凍るような事件の詳細と、地元の大物弁護士を父に持つ、少女Aの恵まれた環境について記している。
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