コンビニで「時給850円」レジ打ちも…「中山麻理さん」が語っていた「三田村邦彦」と離婚後のバイト生活

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「私の記事が載った雑誌を私が売るの?」

「中山さんは、この店から歩いて2~3分の距離にあるマンションに、三男の方と一緒に暮らしています。常連客は皆、彼女が女優の中山さんだと知っていますし、彼女も全く隠そうとしていませんよ」(近所の住人)

 店では、とにかくテキパキ働く。時には翌日の店員の配置まで指示し、まるで店長の右腕といった風格だ。コンビニバイトの謎を解くべく、10月下旬の夜、仕事を終えた彼女を直撃した。

「いやだぁ~、もお。勘弁してください。確かにコンビニで働かせていただいています。もう3年になりますよ。これ『週刊新潮』で記事にするんですか? 私のことが載っている雑誌を、私がお店で売ることになるの?」

 滔々と語る彼女ではあるが、オールドファンが思い出すのは、1970年にお茶の間の人気をさらった、元祖スポ根ドラマ『サインはV』だ。その彼女が三田村と結婚したのは80年。映画での共演がキッカケで、熱愛の末、5歳年上女房の誕生となったわけだ。2人は川崎市の3億円の豪邸で暮らし、3人の男の子に恵まれた。順風満帆の生活に亀裂が入るのは96年。三田村が、22歳年下の女優・高橋かおりとの不倫デートを「FOCUS」に報じられたのだ。

「家を追い出された三田村は、一時は庭に停めたキャンピングカーに寝泊まりしていた。語り草となるほどの“絵になる離婚劇”でした」

 とは、芸能レポーターの須藤甚一郎氏だ。

「私は年寄りの役は向いてないの」

「般若」「鬼女」――。離婚調停の間にも、激しい怒りを募らせる中山の眉間の皺はどんどん深くなっていき、不貞を働かれたほうの彼女にとっては承服しがたい呼称が芸能メディアの紙面に踊ったものだ。それから3年を経た99年11月、ようやく離婚は成立した。

「あの時も2億円離婚訴訟と騒がれましたが、私は慰謝料を全く貰っていません。川崎の自宅も、彼が手放したくないと言うので、“じゃあ、残りのローンを払ってください”と言って、私のほうが子どもたちを連れて家を出たんです。子どもの養育費はいただきましたが、それも20歳で終わっています」

 と中山。離婚後、彼女は『笑っていいとも!』(フジテレビ)やドラマ、舞台に出演するなど芸能活動を続けてきた。

「ただこの年になってくると、仕事はお婆さんの役しか来ないんですよ。実際、孫も3人いますが、私は年寄りの役は向いてないの」

 それでバイトにいそしむ必要が生じたのかと思ったら、さにあらず。すでに10年前に、蓄えを利用して世田谷区内に約70平方メートルのマンションを購入。国民年金も貰っているという。

「だから、贅沢しなければ、働かなくても食べていけるんです。でも私、家でブラブラしていたくないの」

 そこで目に入ったのが、行きつけのコンビニの店員募集の張り紙だったという。

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