「苦しくて目覚めると、母が馬乗りに…」無理心中を生き延びた少年時代の哀しい記憶 妹を失い、引き取られた家で受けた“静かな拒絶”

  • ブックマーク

【前後編の前編/後編を読む】彼女との不倫密会は「健康診断みたいな感じ」 39歳夫が築いた“生き残り同士”の不思議な関係性

 幼いころから「特異」な人生を歩んでいる人がいる。いや、考えれば誰もが唯一無二の人生を進んではいるのだが、それでも生まれついて家族がいないとか、幼いころに一家離散したとかは、一般的に言って「特異」な人生だろう。

「僕は母子心中の生き残りなんです」と、水田隆宏さん(39歳・仮名=以下同)は苦笑しながら言った。「よく言うんです、笑ってくれていいんですよって。でも誰も笑ってくれません」

 それはそうだろう。その一言に笑えるほどの人でなしはめったにいないはずだ。

「不倫なんて、家族に死なれるよりずっと軽い話のような気がします。もちろん、された側はきっと傷つくんでしょうけど……。僕自身、今は深く後悔しています」

 話が錯綜していく。まずは彼の子どものころの話を聞いてみる。

小学2年生のときの記憶

 隆宏さんは、都内の下町地域に生まれた。父と母は商店を営んでおり、店の2階が住居となっていた。彼には3歳違いの妹がいた。

「小学校2年生のころ、遠足から帰ってきた日のことです。夜中に急に息が苦しくなって目が覚めた。母が僕に馬乗りになっていました。記憶はそこで途切れています。気がつくと僕は病室にいた」

 目の前に父親の顔があった。父は泣いていた。彼には何が起こったのかまったくわからなかったという。

「母と妹は死んだと聞きました。父からではなく、父方の叔父がぽつりとつぶやいて、その場にいた人がみんな叔父を咎めるような目で見ていた。それが病室でのできごとか母と妹の葬式の場だったのかよくわかりません。ただ、いつの間にか父はいなくなっていて、気づいたら僕は叔父の家で暮らすことになっていました」

 転校も余儀なくされた。叔父は転勤族で、当時は東京から遠く離れた地方に住んでいた。30代半ばで、少し年下の女性と一緒に暮らしていた。あとから知ったのだが、結婚したばかりだったらしい。

「それ以前の自分がどういう人間だったのか、幼かったこともあってよく覚えていないんです。ただ、叔父の家に行ってからは口数の少ない、おとなしい子だったと思う。母と妹がなぜ死んだのかはうっすら予想はできていた。ただ、そのときのこともその後の自分の気持ちも、きちんと言葉にはできなかった。たぶん、警察にいろいろ聞かれたと思うんですが、母が僕の首を絞めていたことは話さなかったような気がします」

次ページ:「おかあさん」からの非情なひとこと

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。