「苦しくて目覚めると、母が馬乗りに…」無理心中を生き延びた少年時代の哀しい記憶 妹を失い、引き取られた家で受けた“静かな拒絶”
中学を卒業し、就職
中学を出ると、彼は就職した。叔父は大反対だったが、叔母が「いいじゃない、早く世の中に出るのも悪いことじゃないわ」とこっそり背中を蹴飛ばすように押してくれた。
「隣の県の県庁所在地にある工場に勤めました。工場のすぐ脇にある、寮と呼ばれているアパートに入れてもらったけど、食事がついているわけではなかったから、夕飯はお弁当が多かった。社長が気にかけてくれて、週末にはよく自宅に呼んでくれました。1年後には定時制高校に通いたいと言ったら社長が『がんばって勉強しな』と励ましてくれた。うれしかったですね。自分の過去は話していなかったけど、事情があって叔父夫婦のもとで育ったとは話してありました。中卒はさすがに僕だけだったので、かわいそうな子だと思ったんじゃないですかね、かわいがってもらった」
定時制高校をきっちり4年で卒業し、彼は20歳になった。仕事の経験が5年もあって、それでもまだ20歳。「この先を考えて、何か目標をたてたらどうだ。おまえ、成績がいいんだろ、大学はどうだ。やりたい勉強はないのか、やってみたい仕事はないのか」と社長はいろいろ選択肢を示してくれた。だが、彼は20歳になって、封印してきた8歳のときの「事件」がむくむくとふくれあがっていることに気づいていた。見て見ぬふりはできなかった。このままだと自分が壊れてしまうかもしれないと、だんだん怖くなっていった。
「かといって誰にも相談できない。知られたくないし、話すことであの頃、気づかなかった“真実”を知るのが嫌だった。どうしたらいいかわかりませんでした」
「自分が消えてしまえばいい…」踏みとどまらせた出来事
悩みに悩んだ末、「そうだ、自分が消えてしまえばいいんだ」と悟った。あのとき母に殺されてしまえばよかった。その思いがずっと心に巣くっていたのだ。どんなに普通に生きていこうと思っても、普通になど生きられるはずもないと彼は思いつめた。
いつ、どうやって消えればいいのかを考えているとき、彼は心が満たされていくのを感じていた。決意を固めた人間の強さだろうか。あきらめの境地だろうか。
「だけどある日、その寮に住んでいる同い年の女の子が、自殺未遂をしたんですよ。男にフラれ、手首を切って男に電話をかけ、駆けつけてきた彼が救急車を呼んだ。もちろん助かったんですが、工場は大騒動、社長はショックで入院しちゃったんです。社長が入院したと聞いて、人間性がわかりました。この人のもとでもう少し働いてみようと思った。僕が死んだら、きっと社長はさらなるショックでどうにかなってしまう。そんな迷惑はかけられない。人が死のうとすると、周りはこれほど影響を受けるのかということも知りました。彼女と仲よくしていた同僚女子もショックで仕事を休んじゃったし」
母が亡くなったことで、祖母や親戚はどう思ったのだろう。そういえばどうして母方の親戚は誰も自分に連絡をとってくれなかったのだろうか。思い至らなかったことが次々と出てきた。お金をためて少しそのあたりを探る旅に出てもいいのかもしれない。彼はそう考えた。
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哀しすぎる幼少時を送った隆宏さんだが、気にかけてくれる社長の存在が、「生きること」に向き合うきっかけになったのかもしれない。【記事後編】では、ある女性との出会いによって動き出す彼のその後の半生を紹介する。
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