「苦しくて目覚めると、母が馬乗りに…」無理心中を生き延びた少年時代の哀しい記憶 妹を失い、引き取られた家で受けた“静かな拒絶”
「おかあさん」からの非情なひとこと
それらのことをはっきり言葉で聞かされたのは、3年ほどたったころだ。少しだけ学校にもなじみ、過去を知らない級友たちとも仲よくなった。叔父からは何も言われなかったが、彼は叔父と叔母を、外では「おとうさんとおかあさん」と言っていた。
それを知った叔母が、ある日、ぽつりと言った。
「あなたにとっては叔父さんだから、おとうさん代わりだと思ってもいいけど、私はあなたとは他人なの。わかる? あなたのおかあさんはあなたと妹を殺そうとしたのよ。あなたはたまたま生き残っちゃっただけ。おとうさんが浮気したからって、そんなことで自分の子を殺そうと思うなんて信じられない」
11歳の少年がそれを聞いてどう思ったのか。そんな質問はとてもできない。だが彼は、不自然なくらい淡々と言った。
なぜ母は心中を
「明らかに僕と妹は被害者、ある意味では母も被害者ですよね。僕が覚えている限り、うちの両親はケンカひとつしなかった。でも大人になってからよく思い出してみると、父は母には命令口調でしたね。母はサラリーマン家庭で育ったから、商売のこともわからない。仕事ではいつも父に怒られていた。家業をこなして、家事も子育てもして。母には大きな負担がかかっていたんだと思う。あげく父の浮気ですからね」
浮気といっても軽いものではなかったようだと彼は言う。どうやら相手の女性に子どもができ、父は彼女に夢中になっていたので、「商売を畳んで家を出る」と言った。それで母は絶望したのだ。
「でも、母も生きる手立てはあったと思うんです。父がいなくても商売を続ければよかったかもしれない、あるいは店を売ってお金をもって実家に戻る手もあったかもしれない。でも母は絶望の中で、最悪の決断しかしなかった。そういう意味では僕は母を恨んでいます。でも同時に恋しさも募っている。今までずっと、そんな気持ちで生きてきました」
「どういうふうに自分を形成すればいいんでしょう」
妹はかわいかったと彼は言って、財布から写真を取り出して見せてくれた。ちゃんとパウチされている。大事にいつも持ち歩いているのだろう。そこには母と妹と彼、3人が大きな笑顔で写っていた。写真を撮ったのは父だそうだ。そんな時期もあったのだろう。父がひょうきんな顔でもしたので、3人が笑ったのだろうか。胸が締めつけられた。
「そんな経験をした人間は、どういうふうに自分を形成すればいいんでしょうね。叔父はともかく叔母は明らかに僕を邪魔だと思っているわけだし。叔母がそんな暴露話をしたのは、たぶん妊娠していたから。自分の子を守ろうという意識が働いたのかもしれません。僕は叔父の養子になっていたわけでもないので、そんなに心配しなくてもよかったのに……。ほどなくして叔母は女の子を産みました。妹に似ていて、僕は彼女に近づくことができなかった。叔母が夜中に叔父に向かって『隆宏は怖い。この子を憎んでいるのよ』と言っているのを聞いたことがあります」
そんなつもりはなかった。ただ、ふっと妹の顔がダブったのだ。自分の置かれた状況に現実感がないというのが、当時の彼の気持ちだった。
「叔父はいろいろ気を遣ってくれたけど、やはり自分の子がかわいいですよね。その後、もうひとり女の子が生まれて、家族の形が着々と整っていった。僕は異端児というか、いてもいなくてもいい立場だなと痛感していました」
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