「テレビに出ている姉貴が一番好きだな」 元キャンディーズ「田中好子」の運命を変えた「19歳でこの世を去った実弟」の言葉
コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第25回はキャンディーズのメンバーとして人気を博し、女優として復活した田中好子さんの素顔に迫ります。
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「弟さんのために一等賞を取ろうよ」
「スーちゃんのお見舞いに、ランちゃんと水谷さんが来たらしいよ」
2011年に起きた東日本大震災(3月11日)から2~3週間ほど過ぎた頃のこと。スーちゃんこと田中好子を知る関係者が、こんな電話をかけてきた。震災で世の中がまだ騒然としている中、田中の容態はかなり厳しい局面に向かっていた。
後の情報から、田中を見舞ったのは伊藤蘭(70)と夫の水谷豊(73)ではなく、キャンディーズのメンバー、ラン(伊藤)とミキ(藤村美樹=69)だった可能性もあった。国民的アイドルの病状悪化に情報が錯綜し、関係者も相当、慌てていたということだろうか。
キャンディーズのスーちゃんがこの世を去ったのは11年4月21日(享年55)。未曽有の大震災の後とあって、我が身のこと以上に被災者のことを案じていたそうだ。亡くなった半年後、「今明かされる女優田中好子物語」を連載した(全10回)。
田中は夫の小達一雄氏、そしてランとミキに見守られて息を引き取った。彼女の後半生は旧姓・小達の夏目雅子(享年27)、そして夫の“小達ファミリー”抜きには考えられない。
ラン、スー、ミキの3人はスクールメイツ出身。当時の人気番組だった「8時だヨ!全員集合」(TBS系)などでコメディーを経験して、キャンディーズとしてデビューした。大ブレイクは5曲目の「年下の男の子」(75年)から始まった。「ハートのエースが出てこない」「春一番」とヒットが続き、ピンク・レディーと人気を二分するアイドル時代を築いた。
そのキャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」という、アイドル史に残る名言を最後に解散したのは78年だった。80年に田中は伊藤とともに芸能界にカムバックしたが、復帰の決め手になったのは、弟・一夫の言葉だった。
「僕は、テレビに出ている姉貴が一番好きだな」
この一言から、キャンディーズ解散後の田中の運命が動き出す。一夫は80年10月、骨肉腫のため、19歳の若さでこの世を去ったが、この言葉には姉が再び輝く姿を見たいという想いが込められていた。
闘病中の一夫のことで相談に乗ってくれた萩本欽一(84)から、「弟さんのために1等賞を取ろうよ」と励まされたことも復帰の後押しになったが、そもそものきっかけは一夫が一時帰宅した時に語ったこの一言だった。
まずは「欽ちゃんのどこまでやるの!」(テレビ朝日系)で復帰、次に出演したのが80年のドラマ「虹子の冒険」。そこで夏目雅子と出会う。同時期、父親をがんで失くしたばかりの夏目は田中の気持ちを痛いほど理解し、一夫のことを気にかけ、一人で見舞ったりしている。夏目との交流は深まり、田中は資産家の小達家に招かれるようになり、一雄も紹介され、「お兄ちゃん」と呼ぶようになった。
略奪婚の果てに
84年、夏目は作家の伊集院静氏(2023年11月死去、享年73)と結婚。女優としても絶頂期だったが、85年2月に急性白血病で倒れ、同年9月、27歳の若さで亡くなるまでアッという間だった。夏目は冗談交じりのこんな言葉を残して逝った。
「好子ちゃんには、ウチのお兄ちゃまがいいんじゃない?」
それがまさに言霊。後に、田中は実弟と名前が同じ「かずお(一雄)」と半同棲するようになる。ところが……。
一雄は2度目の結婚で子供もいる妻帯者だった。ありていに言えば略奪である。「国民的アイドルが、妻子ある男と付き合わなくても」という声もあがった。それでも回り出した歯車を止めることはできない。
田中は89年の映画「黒い雨」に主演し、翌90年、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得するなど女優として頂点を極める。一雄との二重生活は3年ほど続き、離婚が成立したのはまさにアカデミーに輝いた90年だった。その間、田中が待つ部屋には一雄が書いた「結婚誓約書」が貼られていた。
91年に結婚。ようやく春が訪れたが、それからわずか1年余り、翌92年に今度は田中を悲劇が襲う。人間ドックで乳がんが見つかったのだ。以来、再発や転移を繰り返し、放射線治療、抗がん剤治療など、長い闘病を余儀なくされる。子供が産めない体になったことは田中の負い目にもなった。
実弟の骨肉腫、夏目の父親のガン、夏目の白血病、我が身のガン……まさに病気のネガティブな連鎖。それでも頑張り屋の田中はくじけず、闘病しながら、朝ドラ「ちゅらさん」(01年)などの作品に出続けた。田中の髪が治療で抜け落ち、カツラをつけていたこともよく知られている。
その最中の10年夏、スキャンダルが報じられる。一雄が子連れの女性とハワイ旅行に出かける姿をキャッチされたのだ。その10月、田中は十二指腸潰瘍で入院し、乳がんの再発がわかる。
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