試写を見た途端、関係者も号泣した映画「火垂るの墓」 ところが見たのは「幻のバージョン」だった…… 高畑勲の美学が生んだ“秘策”に迫る

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 1988年4月16日が宮崎駿監督「となりのトトロ」と高畑勲監督「火垂るの墓」の劇場公開日である。その日に向け、製作の新潮社ではあるものが配布された。そして、未だ完成の目途が見えない「火垂るの墓」に、高畑監督はある秘策を思いついた。(前後編記事の後編)

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 前編に引き続き、新潮社サイドで製作に携わった柴田静也氏の話を聞いてみよう。今でこそジブリ作品といえば、公開前からヒットが確実視されるが、当時はそんなことはなかったようだ。

「当時、新潮社の給料は、一部現金払いだったんです。その給料袋に前売りチケットを入れたんですよ」

 社員にあげたのではなく、前売りチケットを捌いてこいと? 効果はあったのだろうか。

「皆さん売ってくれて、東宝さんに褒められたほど。中には何百枚って売ってくれる方もいて……」

 まだバブル崩壊前。今よりも人々の反応もおおらかだったのだろう。問題は遅れに遅れていた製作がどうなったかだが――。

「公開5日前、4月11日に初号試写が行われました。泣きましたよ。映画の素晴らしい出来栄えと、困難な仕事が結実したという感激で。冒頭で主人公である兄の清太が死んでしまいますが、先に亡くなっている妹の節子とともに幽霊となって劇中の2人を見守っていくというアイデアはまさに高畑監督のオリジナルで、このことによって観客はハッピーエンドがないことを知らされ、感情移入せずに彼らがどう生きたかを見ることができます。ラストに2人の幽霊が現代の神戸の夜景を望むシーンは、決して反戦をテーマにしたものではなく、戦時下にかかわらず人は残酷にもなり得るという現代に通じる話だと思わせられるものです」

 ほかにも印象的なシーンがあったという。

色がついてない

「2つのシーンに色がついていない、いわゆる線画で描かれていました。でも、それが清太が畑から野菜を盗むという、それまでとは人格が変わってしまったようなシーンと、節子を火葬するというシーンだったので、あえて色を入れなかったのだろうと思いました。実際、当時はこの演出を評価した映画評論家もいたほどです」

 そこには大いなる誤解があったのだが、それについては後述しよう。ともあれ、新潮社はこれでOKを出した。60分映画の2本立てのはずが、「火垂るの墓」は88分、「となりのトトロ」は86分となっていたが、完成である。88年4月16日、東宝系129館で公開された。

「当初の予定通り4週間の公開でしたが、次の映画が遅れたため1週間延びた。さらに8月になると、公開が早めに打ち切られた作品があって、空いた期間を埋めるために再び上映されたのです」

 8月の2度目の上映の際、「火垂るの墓」に異変があった。

「色無しの線画のシーンがなくなり、全シーンに色がついていました。後に『火垂るの墓』について書かれたものを見ると、最初の公開時のものは“未完成”で、2度目の上映の時が完成品という書かれ方をしているのですが、私は違うと思っています。だって、製作会社である新潮社がOKを出したのは線画のほうだったのですから」

 確かに、理屈の上ではそうなる。もっとも、スタジオジブリの鈴木敏夫氏によると、公開が迫って完成しないとき《最終的に高畑さんが「鈴木さん、これで納得してもらえないだろうか」と提案してきたのが、二つのシーンを色を塗らない“シロ”のままで公開するという案でした》(「ジブリの教科書4 火垂るの墓」文春ジブリ文庫より)とある。

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