「“参政党は愛人OK”なんて言ってますし、まともではない」 参政党の神谷代表について元側近がため息 集会では「われわれの敵はディープステート」発言も
【前後編の後編/前編からの続き】
参院議員選挙の選挙戦が本格化する中、比例投票先で野党トップに立つなど、参政党が急激に支持を集めている。しかし、神谷宗幣(そうへい)代表(47)の過去の言動には危ういものが少なくない。今回、本誌(「週刊新潮」)は彼の原点から人生をたどり、その実像を浮き彫りにした。
***
【レア写真】「とにかくモテていた」 神谷宗幣代表の「卒アル写真」
前編【「家業が倒産、交際女性に捨てられ、『死にたい』と…」 参政党・神谷代表の「危うい思想」の原点とは】では、神谷代表の生い立ちについて、知人などの証言を交えて紹介した。後編は、吹田市議に当選して以降の来歴と「われわれの敵はディープステート」などと集会で語る神谷氏が持つ陰謀史観について触れる。
吹田市議として政治家の一歩を踏み出した彼が心酔していた人物がいる。松下政経塾第1期卒で「東洋日本思想家」の林英臣氏だ。
林氏が語る。
「彼と初めて会ったのは2007年ですかね、林塾「政治家天命講座」に来てくれました。彼は会場の居酒屋までバイクで来ていたのですが、服装もスーツでなくて、ジーパンスタイルだった。容貌はまるで変身モノのお兄さんのようで、それで“現職の吹田市議会議員です”と言うから、今までの政治家とはだいぶ違うなという印象でした」
橋下徹氏に共鳴
神谷代表は吹田市議時代に保守系の地方議員や首長の組織「龍馬プロジェクト」を立ち上げているが、これも林氏の思想に感化されたからだという。
「彼は林塾で学んでいく中で、幕末の志士のような生き様が大事だと受け止めていたはず。私は坂本龍馬を1000人育てようと呼びかけていたのですが、そういうものに感じるところがあったのでしょう。だからこそ、龍馬という名前を冠した『龍馬プロジェクト』を始めたのではないでしょうか」(林氏)
吹田市議時代の彼が共鳴したもう一人の人物が当時の橋下徹大阪府知事だった。
「09年に神谷代表が音頭を取り、橋下大阪府知事と若手市議が子供の教育や学力について話し合う『大阪教育維新を市町村からはじめる会』が立ち上がりました。翌年、『大阪維新の会』が結党した際に橋下知事は神谷代表にも参加を呼びかけたのですが、方向性の違いを理由に入党していません」(政治部デスク)
[1/4ページ]