TOKIOは「残り2人」で解散 “伝説の海外バンド”に見る「メンバー減でも存続」「逆に盛り上がった」例とその理由
決め手は音楽的に力のあるメンバーの存在か
メインのヴォーカリストが抜けても、ほとんど音楽性の変化を感じさせないバンドとしてはTOTOとシカゴ、ディープ・パープルあたりが頭に浮かぶ。
TOTOは「TOTOIV~聖なる剣~」(1982年)でグラミー賞主要6部門を受賞したときのヴォーカルで、オリジナル・メンバーのボビー・キンボールが1984年に脱退した。しかし、すぐに「ジョーズ」や「スター・ウォーズ」などで知られる作曲家のジョン・ウィリアムズの次男、ジョセフ・ウィリアムズが参加。ジョセフおよびギターのスティーヴ・ルカサー、キーボードのデヴィッド・ペイチによってボビー時代の曲も歌われ、ヴォーカリスト交代によるダメージは最小限に抑えられた。
シカゴは、代表曲「長い夜」(1970年)や全米1位ナンバー「素直になれなくて」(1982年)でメイン・ヴォーカルを担当したピーター・セテラが1985年に脱退。バンド最大の危機と思われたが、その後もシカゴは継続。ピーターの歌唱曲もほかのメンバーが歌っている。意外にも、違和感を覚えなかったリスナーは多いように感じる。
ディープ・パープルは、「ハイウェイ・スター」(1972年)や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(同)を歌いコンポーザーの1人でもあったイアン・ギランが1973年に脱退。その後のライヴ活動が不安視されたが、後任のデイヴィッド・カヴァデールがイアンの歌唱曲も歌い、しかも「紫の炎」(1974年)という代表曲まで生まれた。
このように、フロントマンが脱退しても、バンドが生き残り、場合によってはパワーアップするケースも珍しくない。
ただ、無事に生き残ったり、パワーアップしたりした場合は、フロントマンが脱退したときに音楽的に力のあるメンバーがいることがほとんどだろう。TOTOにはルカサー、シカゴにはロバート・ラム、ディープ・パープルにはリッチー・ブラックモアがいたことは大きい。
長瀬は新バンドを
さて、TOKIOのケースだが、このグループは城島茂バンドがTOKIO BANDとなり、TOKIOに進化した。旧ジャニーズ事務所のグループでは、バンド性がとくに強い。
そして長く活動した5人編成のTOKIOにおいては、ルックス的にもミュージシャンシップも長瀬智也の存在は大きかった。フロントマンの長瀬が2021年に抜けたことで、TOKIOはそれまでのTOKIOではなくなった。「AMBITIOUS JAPAN!」も「宙船」も長瀬の声で聴くことができなくなったのだ。
脱退した長瀬は、TOKIOやエレファントカシマシにも作品を提供したロックギタリスト、久保田光太郎とともにKode Talkersというバンドを組んでいる。実に男臭い音。2023年にリリースしたアルバム「Kode Talkers」はシンプルなリズムで、土ぼこりの匂うアメリカンロック。ギターの鳴りもいい。TOKIOを離れてさらにミュージシャンシップが高まっている。
脱退や解散はファンにとってはショックな出来事だが、そこから新しい展開が始まることもあるのは、ここまでに見た通り。今回の場合、不祥事がきっかけとなっているわけだが、これもまたここまでに見た世界的な人気を誇るバンドにもつきものである。元TOKIOのメンバーたちにも明るい未来が訪れることを願いたい。






