香港にはかつて「七一遊行」があった デモ行進が“重要行事”として定着した22年前、50万人超の人々が共有した怒りと熱気

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逮捕者は1人のみ

 沿道の商店や飲食店も、一部は参加者に水を配るなど後方支援にあたった。簡易の救護所では暑さにやられた参加者や犬が休息を取っている。その前を駆け抜けていくのは、頬を紅潮させた若い学生たち。

「23条は悪法だ!」「言論の自由を守れ!」

 参加者の怒りと熱気は、テレビ中継や口コミで随時共有され、「やはり行かねば」の後追い参加者を増加させる。結果、行進は夜10時まで続き、中環周辺では外国人の参加者も目立った。なお、この間の香港警察は行進と共に歩く一般的なデモ警備に留まっていた。

 参加者は主催者発表で50万人超、警察発表で35万人(午後6時30分時点)、香港政府が空中からカウントした人数は67万5000人。当時は1989年6月の天安門事件抗議デモ行進に次ぐ規模、返還後の6年では最大規模だった。

 その後、車を駆け込み購入した財政長官らは辞任し、23条の立法化は政府側修正案をめぐる議会の攻防を経て白紙に戻された。区議会選挙では親中派が惨敗し、政権運営に苦戦した董建華氏がついに辞任したのは2005年3月のこと。その間、2004年の七一遊行も多くの参加者を集めた。

民主派団体は「ゼロになる」

 こうして七一遊行は香港の重要行事となった。ただしこの先の香港が、特にここ10年間でさらなる荒波に翻弄された事実は周知の通りである。2014年の雨傘革命、2019年からの逃亡犯条例改正案反対デモおよび民主化デモ、警官隊との衝突、コロナ禍、国安法の施行。

 七一遊行は2020年にコロナ禍等を理由として許可されず、現在まで開催されていない。主催の民陣は他の民主派デモも主催していたが、2021年8月に解散を発表した。2002年まで主催していた支連会は6月4日の天安門事件追悼集会の主催を続けたが、やはり2020年に開催許可が下りなかった。解散の発表は民陣の約1か月後である。

 ニューススタンドに並ぶ新聞はどれも厚みが半分以下になった。「蘋果日報」は2021年6月24日号を最後に消え、残った大手紙も風刺漫画やコラムの連載打ち切りなどがニュースになる。「城市論壇」は2021年7月18日の放送が最終回となり、七一遊行を逐一報じていたニュース番組は国安法違反容疑の逮捕や裁判を断続的に報じるようになった。

 2003年に見送られた23条の立法化は2024年に驚異的なスピードで進行し、同年3月23日に「国家安全維持条例」が施行された。並行して民主派政党・団体への政治的圧力は増加の一途となり、解散ラッシュはいまや“終盤”だ。民主派最大政党の民主党は今年4月に解散を正式決定し、その諸手続きに入っている。続いて社会民主連線(社民連)が6月29日の発表当日に解散したことで、「民主派政党はゼロ」「ほぼ消滅」と報じられた。

 炎天下で怒りと興奮、熱気に包まれた7月1日から22年、七一遊行も、関連するメディアも組織も消えた。それが香港の現在地である。

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