「私が“サレ妻”になるなんて!」 それは逆ギレではないか…43歳夫が“おままごとみたいな生活”に限界をおぼえるまで
結婚=解放に喜ぶ妻
いろいろ事情はあるとしても、お互いに好意をもっているのは確か。3度目のデートのとき、彼は彼女につきあってほしいと言った。すると彼女は、「どうせなら結婚しない?」とストレートに身を乗り出した。
「まだ結婚できるほど収入がないし……と思っていたら、『大丈夫。私もアルバイトするし、結婚するなら就職しなくてもいいし』って。就職できない言い訳として結婚を持ち出すのかと反発心はあったんですが、逆に彼女がかわいそうにも思えてきて」
結局、26歳のときに23歳の友里江さんと結婚した。友里江さんの両親は少なくとも穣一さんには感じよく接してくれ、「こんな娘と結婚してくれてありがとう」と何度も頭を下げられた。両親にとっても、「就職できない娘」が家にいるより、「どうしても結婚したい相手に出会ったため、社会に出ないまま結婚してしまった娘」のほうが世間的に通りがいいと思ったのだろう。穣一さんは今はそう理解しているが、当時はなんとなく熱に浮かされるように「結婚というゴール」を目指してしまった気がすると話す。
「友里江は結婚して解放されたと言っていました。たぶん、親からの愛情の裏にある姉との比較とか、それによる姉への嫉妬とか、どこか家族の中で居心地の悪い思いをしていたんでしょう。それらから自由になれたんだと思う。学生時代の延長のようにアルバイトをしながら、どこか楽しそうでした」
新居は友里江さんの父から提供された。父がもっている不動産のひとつに住まわせてくれたのだ。家賃はなんと1万円。「無料だと気を遣うだろうから」という配慮だった。
「友里江の金銭感覚が不安だったので、生活費を渡すという形にしましたが、彼女は案外、うまく家計をやりくりしてくれたみたいです。料理はほとんどできなかったですね。でも努力はしていた。それが僕にはうれしかったから、なんでもおいしいと食べました」
おままごとみたいな生活だったが、友里江さんとの生活は楽しかった。バイト先で出会ったおもしろい人の話や、料理にまつわる失敗談を聞いていると、忙しくなってきた仕事の疲れが癒えた。
なんだか溝があるような
だが半年もすると友里江さんは、新生活に少し飽きてきたとつぶやくようになった。
「飽きるって言っても、結婚生活は日常生活ですからね。彼女には結婚式がイベントで、その後の新生活はおもしろかったのかもしれないけど、それが日常になるとつまらなくなってきたのかもしれません」
そんなとき妊娠がわかった。また新しい“イベント”ができた。妻はその人生最大のイベントを楽しみにしていたようだった。生まれたのは男の子。友里江さんは子どもに夢中になった。
「実家から彼女のおかあさんも毎日手伝いに来てくれていました。僕の負担にならないよう、義母は夕方には帰っていったようです。僕が帰ると、義母が作ってくれた夕食が並んでいた。ありがたかったけど、実家べったりになっているのがちょっと心配でした。妻は『今だけよ。あなたは忙しくて育休なんてとれないでしょ』と。確かにそうでした。必死に仕事を覚えるべきときに結婚してしまったので、ほんの少し上司や先輩の目が厳しかった。だから結婚後はかえって仕事を重視、ようやく『若くして結婚するのも悪くない。早く落ち着いて仕事に集中している』という評価を得られるようになっていたんです」
さらに2年後には娘が誕生。人生が豊かになるというのはこういうことかと実感した。仕事も家庭も順調、30代はもっとがんばろうと決意した。
「ただ、今思えば、その裏にどこか孤独感を覚えていました。妻と義母、妻と子どもたちの緊密さに比べて、妻と僕の間にはなんだか溝があるような気がしてならなかった。どうしたらその溝が埋まるのかもわからない。ある意味でお嬢さん育ちの妻に感じていた、かわいいけどかわいそう、みたいな気持ちが僕の愛情の原点だったのかもしれません。妻が母親に助けられながらも、どんどん母として強くなっていくのが不満だったのかなあ。いや、でも母として強くなるのはいいことだと思っていたし……」
できる限り、子育てには参加していたと彼は語る。「不満」ともいえない違和感が、彼の中で大きくなっていった。
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穣一さんが抱く「妻」とのなんとなくの溝。【記事後編】ではその理由が明かされるとともに、「私が“サレ妻”になるなんて!」と怒鳴られるまでのてん末を紹介している。
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