「私が“サレ妻”になるなんて!」 それは逆ギレではないか…43歳夫が“おままごとみたいな生活”に限界をおぼえるまで

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【前後編の前編/後編を読む】寝室は別、ふれあいも無し。それでも「贈ったネックレス」をつける妻に希望を見ていた…のに 暴露された“真実”と逆ギレ

 男の心理は複雑だ。今の時代でさえ、女性に求めるものは「かわいさ」や「素直さ」だったりするのに、実際にそういう女性とつきあうと「重い」と言う。頼られなければ拗ねるし、頼られすぎると「うっとうしい」となる。女性も似たような感覚はあるだろうが、男性の「女性に期待することの理想と現実」にはかなり大きな齟齬があるように思う。

 篠原穣一さん(43歳・仮名=以下同)は、大学を出て3年目の25歳のときに3歳年下の友里江さんとつきあい始めた。

「僕の一目惚れです。僕はイベント系の会社に勤めていたんですが、あるイベントのアルバイトに来たのが彼女。学生時代、けっこういろいろな女性とつきあっていたので、女を見る目はあると思い込んでいた。そんな僕が彼女の前では、ろくにしゃべることもできないくらいになってしまって」

 穣一さんは当時を思い出して少し笑顔になった。よほどいい思い出なのだろう。ただ、スタッフがアルバイトをそう簡単に誘うわけにはいかなかった。彼自身も、まだまだ下っ端だったからだ。

「友里江は5日間の予定でバイトに来ていました。よく働いてくれる人で、今後も機会があったらバイトに来てほしいと言っておけと上司に言われたんです。4日目だったかなあ、たまたまふたりで話す時間があったので、上司の言葉を伝えました。そうしたら『うれしいです。こういう仕事は本当に楽しいから』と明るい笑顔で答えてくれた。『あなたの笑顔は人を幸せにしますね』なんて思わずキザなことを言ったら、『時間があったら食事にでも誘ってください』って。誰にでも言うのかなと思いつつ、このチャンスを逃してはいけないと、『本気にしますよ』と言ってみた。すると『ぜひ』と」

穣一さんと友里江さん、それぞれの生い立ち

 こんなにトントン拍子に進んでいいのか、彼女は軽い女なのかと思ったが、会ってみると友里江さんも穣一さんに好感をもっていたことがわかった。友里江さんは大学4年生だったが、就職が決まっていないと嘆いてもいた。

「父親は一流企業の上層部、母親の実家も裕福なようで、就職しなくても生活できる環境だったみたい。とはいえ本人は『就職できないなんて、まるで私が無能みたいで恥ずかしい』と。プライドが高いなあと思ったけど、そのプライドの高さは僕がそれまで周囲の人たちに覚えたことのない感覚だったので、少し新鮮ではありました」

 穣一さん自身は、東京近郊のサラリーマン家庭で生まれ育った。兄と弟にはさまれた次男で、「兄は勉強がめちゃくちゃできて、すんなり国立大学に進学。弟は自由人で、家には寄りつかないけどクリエイターとして早くから自活していた」ため、自分だけが凡人だと思いながら成長した。

「母は3人兄弟を平等に扱ってくれたけど、僕は父には疎まれていました。兄とは3歳、弟とは2歳違いですが、父は兄を無条件にかわいがり、弟のことは無条件におもしろがった。僕が今の会社に就職したとき、父はため息をつきながら『いいのか、そんな人生で』と言ったんですよ。それがすごく心に残っている。おまえは才能も才覚もないつまらないヤツだと言われたも同然。気にしないように生きてきたけど、何かあると、あのときの父の蔑むような目が思い出されるんです。だから裕福な家庭で、しかも両親について生き生きと楽しそうに話す友里江が羨ましかった」

 親との葛藤など感じたこともなく生きている目の前の友里江さんが、穣一さんには貴重な存在のように思えたという。同時に、どうして自分なんかに好感をもってくれたのか不思議でならなかった。

「食事を終えたあと、彼女がもう一軒と言い出してバーへ行きました。彼女は、『実は私には姉がいるんですけど、彼女が優秀すぎて』と言い出した。あ、彼女にも葛藤があったのかと思っていたら、お姉さんは優秀すぎてさっさと親元を離れて留学してしまったそうなんです。だから両親はよけいに友里江をかわいがっていたのでしょう。友里江も親の愛情を一心に受け、それをよしとしている」

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