ジャニー氏から「3カ月でクビになると思う」と言われ… 伝説の名曲を生んだ鎌田俊哉氏が明かす「仮面舞踏会」制作のウラ側

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マイケル・ジャクソン『スリラー』振付師によるレッスン

 曲が完成に向かっていた頃、少年隊の三人は「世界デビュー構想」に基づき、ニューヨークでダンスのレッスンを受けていた。講師は超一流のダンサー兼振付師、マイケル・ピータース。

 その名にピンとこない人も「マイケル・ジャクソンの『スリラー』(83年)のMVのダンスを考えた人です」という鎌田氏の説明を聞けば、事務所がどれほど力を入れていたかが分かろう。

 ピータースはマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」(83年)のMVでも振り付けを担い、ギャング団のボス役として出演している。エディ・ヴァン・ヘイレンが弾くギターソロの時にナイフを手に闘う、白い上着にサングラスの男性がピータースだ。

「少年隊の三人は僕が関わる前からグループでやっていて、ダンスの息もぴったり。ピータースの前できっちり合わせた踊りを見せました」

ピータースが出した“意外な指示”

 三人のきれいにそろったダンスを見たピータースは、意外な指示を出した。

「彼の指示が面白かったんですよ。三人に対して『お前は早め、お前はジャスト、お前は遅れろ』と、わざと三人のタイミングをズラしたんです。ズレがあったほうが迫力が出ると。実際、『スリラー』のMVでもそういう指示をしたそうです」

 こうしてデビューに向けて準備が整い、発売まで1カ月となったある日、会議室で事件が起きた。後編【「ジャニー氏が唯一褒めた曲はSMAPの…」 伝説の名曲たちを生んだプロデューサーが明かす衝撃秘話 直後に「これ以上の曲、絶対に作れないから」とクビ宣告】では、会議室で起きた事件の詳細、そしてジャニー氏が唯一褒めたという鎌田氏の楽曲について聞く。

 また、6月26日発売の「週刊新潮」では、鎌田氏がSMAP成功の裏側について語りつくしている。

鎌田俊哉(かまだとしや)
音楽プロデューサー。東京都出身。1980年にバンド「パーティ」でデビュー。解散後はプロデューサーとしてジャニーズなどを手がける。アナログ・レコード「4th Wave Record Factory」主宰・プロデューサー。

華川富士也(かがわふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町、昭和ネタなどを得意とする。シリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

週刊新潮 2025年6月26日号掲載

特別読物「少年隊『仮面舞踏会』はお蔵入り寸前だった…音楽プロデューサー鎌田俊哉氏が明かす“ジャニーズ名曲秘話”」より

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