ジャニー氏から「3カ月でクビになると思う」と言われ… 伝説の名曲を生んだ鎌田俊哉氏が明かす「仮面舞踏会」制作のウラ側

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「少年隊をデビューさせるから担当しなさい」

「ロックやブルース、ソウルといった僕が当時好きだった音楽は封印しました。ラジオで好きなマービン・ゲイがかかると、すぐ切ったぐらいです。代わりにひたすら聴いたのが英米のポップスチャートの曲。ヒットする曲とはどんなものかを分析していたんです」

 最初に手がけたのは“マッチ”こと近藤真彦の「一番野郎」。続く「ケジメなさい」の制作中にジャニー氏から「少年隊をデビューさせるから担当しなさい」と告げられた。

 少年隊(錦織一清、植草克秀、東山紀之)は85年に「仮面舞踏会」でレコードデビューし、一夜にしてスターの座を手にした。曲は昭和の大作曲家、詞は矢沢永吉御用達の作詞家、ダンスの先生はアメリカの超有名ダンサーと万全の体制でデビューへ向け準備していたが、実はレコード発売直前にまさかの混乱状態が発生していたと明かす。

「担当しろと言われたのは少年隊がデビューする1年半前のことです。コンセプトを作曲家の筒美京平先生と一緒に考え、先生には60曲ほど作っていただきました。国内チャートで1位を取るのは当たり前、その先の“世界デビュー”まで見越した曲を作らなければいけませんでした」

巨匠に言われた「あんた、生意気だ」

 その60曲の中に「仮面舞踏会」の元になる曲があった。筒美氏ほどの作曲家が作るのだから、発売されたシングルと大きく変わらない状態だったのだろうと素人のわれわれは思いがちだが、実際にはかなり手を入れたという。

「事務所上層部のお二人(編集部注・ジャニー社長とメリー喜多川副社長)がスタジオに来て、錦織も入って、どこを直したいかという話をしました。最初は歌い出しの『トゥナイヤヤヤ……』はなかったし、譜割りは8ビート。詞が入ってからのメロディーも少し違いました。さらに社長が『物足りない』というので大サビを足してもらうことになったんです」

 巨匠にこの“大工事”を発注するのは鎌田氏の仕事だった。

「筒美先生には、頭に『勝手にシンドバッド』(サザンオールスターズ、78年)の“ラララ~”みたいなのを付け、8ビートを16ビートにしてほしい。大サビも付け足してほしいとお願いしました。当時、僕は25歳。先生から見れば小僧です。60年代から数々の大ヒット曲を生んできた先生に、僕のような小僧が注文をつけるなんて、あり得ないことでした。筒美先生は『あんた、生意気だ』と言いながらも応えて下さり、あの曲ができたのです」

 歌い始めの「トゥナイヤヤヤ……」や大サビの「いっそX・T・C(エクスタシー)」の部分はこうして加えられた。さらに編曲を担当した船山基紀氏によって独特のイントロが作られ、後の大ヒット曲がようやく出来上がった。

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