ジャニー氏から「3カ月でクビになると思う」と言われ… 伝説の名曲を生んだ鎌田俊哉氏が明かす「仮面舞踏会」制作のウラ側

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「いいか、それはハンディだ」

 その理由が、いかにも矢沢らしかった。

「矢沢さんはおっしゃいました。『お前たちにはすぐに帰れる家があり、帰ったらメシを食える。いいか、それはハンディだ。俺たちは退路を断って地方から来て、売れなきゃメシが食えなくなる。だから力がつくんだ』と。その通り、僕らは売れませんでした」

 矢沢はキャロルで人気となり、ソロデビューしてからも78年発売のシングル「時間よ止まれ」が大ヒット。同年に発売された自伝『成りあがり』もベストセラーになるなど、すでに大スターの風格があった。この言葉は成功した矢沢からの“気合を入れろ”というエールだったのだろう。

 結局、バンドはヒット曲に恵まれないまま解散し、鎌田氏は五十嵐浩晃や本田恭章のバンドなどでギタリストとして活動する。

「表に出るよりスタッフになった方がいい」

 そんなある日、山下達郎の新レーベル「Alfa Moon」を立ち上げた小杉理宇造(りゅうぞう)氏に誘われ、レコーディングスタッフとして働くことに。小杉氏は後にワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長などを務めた。

「小杉さんに『ギターとピアノができて、曲も詞も書け、アレンジもできる。その上に明るい。そういうやつは表に出るよりスタッフになったほうがいい』と説得されたんです。山下達郎さんを手伝っていたら、ジャニーズ事務所が制作部門をつくるというので『お前やらないか』と、社長のところに連れて行かれました」

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