なぜ美人アスリートの「異業種転職」はたたかれる? 女優デビューを果たす本田真凜に向けられた批判の目
女性の「セカンドキャリア」はなぜ難しい? 「野心ある美人」と相性の悪いSNS文化も影響
社会は人気者の「セカンドキャリア」に対して、成功してほしいとは願いつつも、「出過ぎた杭」を打ちたがる二律背反を抱えている。しかし、元アスリートやお笑い芸人が演技の世界に近づく場合、ここまでの否定的な反応が起こることは少ない。女性は、なぜこれほど精密に検閲されるのか。
大きな要因は、「女性の成功には必ずルックスが関与している」という、無意識のバイアスではないか。今やドラマに引っ張りだこの男性芸人や男性アスリートは少なくないし、比較的寛容に受け止められる。一方で、女性の場合は成功の理由が「顔」「若さ」「男性受け」といった要素に矮小化されやすい。それは、下着メーカーのモデルとして起用された元レスリング選手の吉田沙保里さんや丸山桂里奈さんのような、競技一筋だった女性たちにすら、「イメージ戦略が過ぎる」「女性性の売り方が露骨」といった批判が寄せられたことにも表れている。
特に、本田さんが身を置くフィギュアスケートという種目は、「可憐で美しい」少女像とセットでイメージが形成されやすい。そこから女優業に転じる流れは、芸術的な才能というより「見た目の延長」と捉えられてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。もともと本田さんは、タレント・女優をしている2人の妹とも引けを取らない美貌で、美人3姉妹として売ってきたのも確かだ。そうして「美しさ」や「年齢」の要素で評価されてきた女性ほど、いかに他分野で成功していても、「顔ですべてを贈られた人」として処理されてしまう。
さらに本田さんのように、ある分野で完結したキャリアを保持しつつ、新たな挑戦へかじを切る女性たちは、野心的で自信過剰な存在に見えることがある。その姿がまぶし過ぎるがゆえに、「こちら側の不全感」を刺激してしまう場面も少なくない。SNS時代における成功者は、本人が望まなくても、視聴者自身の生活と比較される存在になりがちだ。「なぜこの人はすべてを持っているように見えるのか」――この問いが、裏返しに「持たざる者」のいら立ちを駆り立てる。そして「見た目がいいから配役が来た」という短絡的な視線で、彼女の新たなキャリアへの門出に冷水を浴びせてしまう。
しかし、こういった反応を避けるすべは確かに存在する。それは、異業種から参入した女性自身が「いかにその世界に敬意を払っているか」を言動で示すことだ。本田さんがもしこの先、舞台やワークショップに足を運び、表現力を磨いていく姿を示していけるならば、彼女へのまなざしは「また顔だけのスケーターが」といった評価から脱し、真の意味での「表現者」として定着することだろう。
第二の表現者人生として、かつて氷上で華麗に回転した本田さんが、今度はスクリーンの上でどんな軌跡を描くのか。それを見守る目が、ただの好奇の視線ではなく、期待と信頼を込めた「応援の視線」に変わっていくことを願いたい。






