「7月5日」津波予言で思い出す「ノストラダムスの大予言」 「人類滅亡」予測が外れた「五島勉」氏は「子供にショックを与えて申し訳ない」

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不景気とテポドン

「当時の日本は高度経済成長期の後に訪れた不景気の最中で、73年には第1次オイルショックも起きた。トイレットペーパーを求めて主婦がスーパーに殺到するなど不安要素が多かったことも『ノストラダムスの大予言』を250万部の大ベストセラーにまで押し上げたのでしょう」

 一時は忘れ去られた予言だったが、99年が近づいてくるとブームは再燃する。

「前年の98年に北朝鮮からテポドン1号が発射されたため《空から恐怖の大王が来るだろう》というフレーズが思い起こされ、ノストラダムスの予言が再び注目されるようになっていきました。もっとも、予言を心配したのは日本人だけで、“日本独自のノストラダムス・フィーバー”と報じた海外メディアもあったほど。そもそもノストラダムスの詩は抽象的な表現で、様々に解釈できるものが多く、《1999年7の月》という表現だって変なんです。原文は《L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois》ですが、フランス語で7月はJuillet(ジュイエ)ですし……」

 99年7月が近づくにつれ日本独自の予言が盛り上がる中、直前の6月に五島氏を取材したのが朝日新聞だった。一問一答形式のインタビューでは翻訳についても説明している。

《予言は詩の形式がとられています。本国のフランスでも、その難解さから解釈が割れているくらい。「7の月」は原語から9月とも解釈できますし、1999年と7ヵ月とみれば2000年7月ともとれます》(朝日新聞:1999年6月24日夕刊)

 言うまでもないが、1999年7月はもちろん2000年7月も人類は無事に生きのびた。五島氏は20年6月16日に鬼籍に入るが、その前年に週刊新潮(19年6月20日号)のインタビューに答えている。

「申し訳ない」

《「1503年に生まれたノストラダムスは、予言詩を何冊にもまとめ、イエスの予言を引き継いだだけでなく、独自の予言も盛り込んでいます。人類の月面着陸や、現在のカードローンの登場なども予言しているんです。私があの本を発表した73年に関して言えば、米ソが一触即発で、核兵器を用いた第3次世界大戦が始まりかねない状況で、ベルリンの壁の両側にも、何百もの核兵器が準備されていました。“1999年に世界が終る”という予言は、そうした世界情勢を言い当てていたんですね」》

 あれから20年を経ても、予言は外れていないと語っている。その一方でこうも言う。

《「私はあの本に予言だけを書いたわけではなく、第1巻に『残された望みとは?』という章があります。ノストラダムスの大予言はキリスト教の体系下で書かれたもので、たとえば東洋的な思想を持てば世の中は変えられる。私はそういうことも書いていたんです」》

 人類滅亡説は今で言うところの“切り取り”だったと言いたげだが、後悔の念も語っていた。

《「親や先生から、“子供が読んで夜も寝付けなくなった”とか“自分の命は99年までだと悩み始めた”とかの意見が届き、ショックを与えてしまったことに関しては、申しわけないと思うようになりました。ただ、子供たちは最終章の『残された望みとは?』までは読んでいなかったし、後で聞くと、大人ですらあまり読んでいませんでした」》

 読者の読み方に不満があったようだ。その上で、ノストラダムスは21世紀も見据えていたという。

《「キリスト教には世界の終末という考え方がある。そこに核兵器によって危機的状況が生まれていた。誰かが伝えなきゃ、と思って本を書いたんです。いまも人間は富を使って人殺しの道具を作っています。核兵器も、テロリストの手に渡ったら、と考えると恐ろしいですよ。いまの世界情勢も、ノストラダムスが予見していたと言えるんです」》

 五島氏が健在であれば、6月13日にイスラエルが行なったイランの核施設への攻撃もわかっていたということになるのかもしれない。

 そして今、7月5日の“予言”が話題となっている。東日本大震災の3倍の津波ともなれば、不安に苛まれる人もいるかもしれない。だが、著者のたつき氏は発行元の飛鳥新社のXでこうコメントしている。

《私の見た夢や漫画がきっかけとなり、準備、対策をしっかりして「災害や災難」がいつ何時起ころうとも、役立つキッカケになれたら幸いです。私は、けっして不安や恐怖をあおるつもりはありません。助けあい協力しあって安心して生きていける平和な未来が訪れることを信じています。――たつき涼》(24年8月9日)

 7月5日に限らず、備えが重要ということか。

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