乱闘で「長嶋茂雄」を殴った“唯一の男” 監督時代はおとなしい選手より“闘志みなぎる”選手を好んだ一面も

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 現役時代に「燃える男」と呼ばれた長嶋茂雄氏だが、監督時代にも乱闘シーンで怒りをあらわにし、時には審判に激しく抗議するなど、“燃える指揮官”だった。そんな熱いシーンの数々をプレイバックしてみよう。【久保田龍雄/ライター】

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長嶋監督を殴った唯一の男

 乱闘の最中にエキサイトした相手チームの選手に殴られるという“仰天伝説”が語り継がれているのが、1978年7月10日のヤクルト戦である。

 巨人が1点を先制した直後の1回2死二塁、5番・シピンが鈴木康二朗から左肘に死球を受けたことが、騒動のきっかけだった。開幕以来、日本の投手の内角攻めにイライラを募らせていたシピンは、5月30日の大洋戦でも、内角球を投じた門田富昭を殴り倒し、退場処分になっていた。

 そして、この日も「日本のピッチャーはなぜオレばかりを狙うんだ」と憤怒の形相でマウンドに突進すると、右手拳を振り上げ、鈴木に殴りかかった。だが、直後、助太刀に駆けつけたファースト・大杉勝男に後ろから羽交い絞めにされ、押し倒されてしまう。東映時代の1970年に西鉄のボレスをパンチ1発でKOした“武勇伝”を持つ猛者が相手では、さしものシピンも形勢不利となった。

「プロ野球『毎日が名勝負』読本」(オフサイド・ブックス編集部編)によれば、このとき、二塁ベース上にいた東映時代の先輩・張本勲が大杉の背後からスリーパーホールドをかけ、「スギ、ワシだ。ハリだ。巨人とは喧嘩せんほうがええ」と制止に入ったという。

 だが、巨人の先発投手で“クレージー”の異名をとるライトも参戦し、ヤクルトの選手を殴りつけるなど、両軍ナイン入り乱れての大乱闘に発展してしまう。ベンチを飛び出した長嶋監督も乱闘の輪の中でもみくちゃにされるなか、興奮のあまり、我を忘れた大杉は、なんと、長嶋監督までポカリと殴ってしまったという。

 以来、大杉は、真偽のほどは定かではないが、“長嶋監督を殴った唯一の男”としてコアなファンに記憶されることになった。

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