乱闘で「長嶋茂雄」を殴った“唯一の男” 監督時代はおとなしい選手より“闘志みなぎる”選手を好んだ一面も
闘志を前面に出す選手を好んだ長嶋監督
“暴れん坊助っ人”の退場処分に納得できず、放棄試合も辞さない覚悟で猛抗議を行ったのが、1996年5月1日の中日戦である。
巨人の先発・ガルベスは5回、山崎武司の頭付近を通過するブラッシュボールを投じたことがきっかけで、“日米ヘビー級対決”のゴングが鳴る。
怒り心頭の山崎が血相を変えてマウンドに詰め寄ると、ガルベスも間合いを詰めながら、左手のグラブを外し、大事な右手を庇いながら、左手でパンチを繰り出した。これに対し、山崎もヘッドロックをかけて応酬。たちまち両軍ナインの大乱闘に発展し、中にはバットを手にして飛び出す選手もいた。
審判団は乱闘の原因をつくったガルベスと山崎を退場処分にしたが、ガルベスは自分から先に手を出しておきながら、「何でオレが退場なんだ」大むくれ。長嶋監督もガルベスの退場を「納得できない」として、ナインをロッカーに引き揚げさせた。この騒ぎで試合は32分間中断した。
ガルベスは、1998年7月31日の阪神戦でも、ストライク、ボールの判定に納得がいかず、球審にボールを投げつけるという前代未聞の暴挙で、残りシーズンの出場停止処分を受けている。その後、長嶋監督がけじめをつけるため、頭を丸めた話もよく知られている。
今にして思えば、長嶋監督時代の巨人は、シピン、ライト、グラッデン、ガルベスと、“紳士の球団”にふさわしくない荒くれ者が多かった。これも闘志を前面に出す選手を好む長嶋監督らしさと言えるかもしれない。
1994年に巨人に移籍してきた屋鋪要も、トレードマークの髭を剃るべきか迷っていたときに、長嶋監督から「その髭ね、剃ることないよ」と言われ、「屋鋪、ほかの選手見てみろよ。みんなスカート履いて野球やってるよ」とその理由らしきものを説明されたという。
大久保博元も同年9月10日の広島戦で、故意死球をほのめかす相手バッテリーの術中にはまり、空振り三振に倒れた直後、悔しさのあまり、バットを地面に叩きつけて大暴れしたが、長嶋監督は怒るどころか、逆に大久保のファイトを買ったという。
“燃える男”は、バットを置いたあとでも人一倍の闘争心を持ちつづけていたことがよくわかる。
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