自分は性に薄いと思っていたけれど…50歳既婚男性が「好き」と気づいた 意外な相手の正体は
部下を見て思い出した幼少時の風景
浩毅さんがふと思い出したのは、子どものころ住んでいた家の近所に男性同士のカップルがいたことだった。町の人たちは彼らを冷たい目で見ていた。
「リベラルなはずのおふくろも、『あの人たち、困ったわね』と言っていた。別に彼らはいちゃいちゃしながら歩いているわけでもないし、すれ違うと挨拶してくれる人たちだった。僕ら子どもにも親切だったし。それなのになんとはなしに嫌われている。積極的に排除はしないけど、だからこそ彼らを見るみんなの目が陰湿で怖かった」
父親は、そんな母に向かって「なにがいけないんだ。彼らが近所に住んでいたって何の不都合もない。人は自分が生きたいように生きればいいんだ」と叱責するように言った。
「父は自由人でした。定職につかず、うちは実質、母の働きでみんなが食べていた。母は公務員でしたから。でも結局、僕が高校生のころ、父は母に捨てられました。兄は父を蔑んでいたけど、僕は父が羨ましかった。母に『オヤジがいい人だということは、おかあさんだってわかってるでしょ』と言ったら、『でもあの人と老後を過ごすのは嫌』ときっぱり。結婚したときは会社員だったのに、子どもが生まれてすぐあの人は仕事を辞めて、事業を興したり潰したりを繰り返し、何をやっているのかわからないままたいした稼ぎもなく今まできた。もうじゅうぶんと母は吐き捨てるように言いました。価値観も合わなかったんでしょうけど、子どものために我慢してきたんだという感じでしたね」
王道からはずれると他人のみならず家族からも見捨てられるのかと彼はショックを受けた。父はその後、実家に戻ったり行方をくらましたりしながら、数年後に亡くなったが、母は葬儀にも行かなかった。
それほど仲の悪い家庭だとは思っていなかったが、あるとき母の我慢が限界を超えたのかもしれない。
「部下の彼が気になるようになってから、そういうことをいろいろ思い出しました。僕が彼を特別な思いで見ていることは公表できない。知られたくもない。でも彼を思いながら素知らぬふりをしているのもつらい。そういえば僕は自分のあらゆる欲求をあまり直視してこなかった。自分でも無意識のうちにいろいろなことを我慢しながら生きてきたのかもしれない。40代も後半になってから、そんなことに気づくなんて情けないですけどね」
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