トランプ政権下にひびく「移民をバカにするな!」…文学座を救った名作舞台劇「調理場」が映画で復活 21世紀に公開される意義とは
「メキシコ移民をバカにするな!」――そんな絶叫セリフがひびく、強烈な映画「ラ・コシーナ/厨房」が公開されている(メキシコ・アメリカ合作)。まるでトランプ政権に向けた怒りのようだが、実はこの映画の原作は、1959年にロンドンで初演された名作舞台劇「調理場」である。日本でも何度か上演されているので、ご存じの演劇ファンも多いだろう。そんな66年も前の作品が、いま映画化され、新たな光を放っている――いったい、どんな映画なのだろうか。
【写真】文学座の危機を救った歴史的な舞台の貴重写真と、実力派俳優が魅せる映画の迫力
原作は「35人」が登場する舞台劇
その前に、原作戯曲について、簡単にご紹介しておこう。
作者、アーノルド・ウェスカー(1932~2016)は、イギリスの劇作家。反戦、反権力志向の強い戯曲が多く、大規模な反核デモを組織して逮捕されたこともある。1958年に書いた処女作「調理場」(The Kitchen)が1959年9月からロンドンのロイヤル・コート・シアターにてジョン・デクスター演出で初演され、注目を浴びた(ただし上演順としては3作目)。
物語は、ロンドンの大型レストラン「チボリイ」の厨房(調理場)。ここで繰り広げられる1日の大騒動が描かれる。作者ウェスカーは、台本の序文に、こう書いている。
〈混乱し、くだらぬ喧嘩、不平、誤った自尊心、俗物根性。調理場で働く人々は本能的に食堂で働く人々を憎む。更に両者とも客を憎んでいる。それは個人的敵なのだ。/シェクスピアにとってはこの世界が舞台であったろう。しかし、私にとっては、それは調理場なのだ〉(『ウェスカー全作品2』、木村光一訳、1967年、晶文社刊より/以下同)
登場人物は、なんと全部で「35人」! そのほとんどが、常に舞台上にいて、出たり入ったりする、ちょっとした“群集劇”である。さらに作者は、こう書いている。
〈いかなる時といえども食物は実際に用いられてはならぬ。だからウエイトレスたちは空の皿を運び、コックたちはマイムで料理する。コックはこの戯曲の主要人物であるから、後に彼らについて、彼らの仕事について、別に記そう。だから芝居の本質のアクションが続いている間、彼らは常に何かをしていなければならぬ。〉
そして、全登場人物一人一人の経歴、国籍、性格、厨房での役割、(コックの場合は)担当の得意料理と、その調理方法までが、微に入り細に入り説明されている。
「舞台上演だったら、指定されているように実際に料理するわけではなく、マイムで表現できますが、映画となると、そうはいきません」
と、試写で鑑賞した、ある映画ジャーナリストがいう。
「これだけの大人数のコックやウェイトレスたちが登場し、せまい厨房のなかで、口喧嘩をしたり文句を言い合ったりしながら、リアルに料理をしなければならないわけです。そのカメラ・ワーク、演出・編集・音声処理だけでもゾッとする作業です。それだけに、おそらく、映像的に、ある程度の“省略”がおこなわれるとばかり、思っていました」
ところが、その予想は、ことごとく裏切られることになる。
「14分」ワンカットの“大洪水”シーン
「舞台をニューヨークの大型レストランに移していますが、最初から最後まで、まったくの手抜きなし。混乱中のホンモノの厨房にカメラを入れたのではないかと思いたくなるドキュメント的なシーンさえある。さらに驚くのは、中間部の、あるワンカット・シーンです。カメラは、怒声が行き交う厨房内から客席フロアへ移動し、また厨房にもどる。するとドリンクマシンが故障しており、厨房内はチェリー・コークの大洪水になっている。その前後、約14分。一瞬たりとカメラは止まることなく、厨房やフロアの大混乱ぶりをワンカットでおさめています。リハーサルもたいへんだったと思いますが、役者もよく対応したものだと感心します」
それらのシーンを見事にこなすメキシコ移民のコック、ペドロ役は、メキシコの名優、ラウル・ブリオネス。その“恋人”で、どこか謎めいたウェイトレス、ジュリア役にアカデミー賞ノミネート常連の実力派、ルーニー・マーラ。
ワンカットの“厨房映画”といえば、近年では「ボイリング・ポイント 沸騰」(フィリップ・バランティーニ監督、2021年、イギリス)があった。90分ワンカットで、ロンドンの高級レストランのクリスマス・イヴの夜を描いていたが、本作のワンカットは時間が短い分、濃密さの度合いがちがう。
原作のドイツ移民はメキシコ移民に、経営者はアラブ系アメリカ人になっているほか、他国の移民もいて、レストランの厨房内を、世界の凝縮とみなしているのである。この経営者は、不法移民を安く雇用し、「もうすぐビザをとってやるから」といいながら、いつまでも実行しようとしない。
実は、原作となった舞台劇「調理場」は、日本の演劇史を語るうえで欠かせない、重要作品なのだという。ベテランの演劇ジャーナリスト氏が解説する。
「この芝居は、1962年、自由劇場によって、『ザ・キッチン』の邦題で日本初演されました(程島武夫演出)。その後、文学座が『調理場』として再演して人気舞台となるのですが、これが、たいへんな時期に上演されているのです」
劇団文学座は、1937年に岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄(獅子文六)らが発起人となって設立した老舗劇団だが、1963年、ある“危機”を迎える。
「1963年1月14日、突如、芥川比呂志、岸田今日子ら29名もの中堅・若手座員が“脱退”を表明。翻訳家・評論家の福田恆存を中心に、〈劇団雲〉を結成すると発表したのです。すべてが秘密裏に進められた、“抜き打ち脱退”でした。そのとき、文学座は、第一生命ホールでマルセル・エーメ作『クレランバール 愛の狂人』(長岡輝子演出)を公演中でした。ここにも出演していた中村伸郎、杉村春子ら“守旧派幹部”に対する反発が理由でした。しかもこれを、当日の毎日新聞が、朝刊社会面で大々的に、“文学座が分裂”とスクープ報道したので、さらに大騒ぎになったのです」
世間では、文学座の存続さえ危ぶまれるのではないかとの見方もあった。だが、文学座は、3月のアトリエ公演で、そんな不安を見事に払拭する。そのときの演目こそが、ウェスカー「調理場」だったのだ(木村光一訳・演出)。
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