血まみれシャツの学生が「奴らは3歳の赤ん坊を撃った」…「天安門事件」から36年 日本人記者が目撃した“発砲と流血の現場”

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 6月4日は天安門事件の36周年に当たる。当時、筆者は産経新聞の北京特派員として、事件のほぼ50日前から北京入りし取材。事件当日も、未明から天安門広場やその周辺で、軍による攻撃で多数の学生や市民が死傷するなどの動きをつぶさに目撃した。以下はその体験記である。

【前編】では「軍の銃撃で多数の市民が負傷している」との一方を聞き、現場に駆け付けたところまでを記した。天安門広場近くの民族飯店(ホテル)の前で筆者が目にしたのは、黒焦げになって焼けただれた兵士の死体だった――。

【相馬勝/ジャーナリスト】

【前後編の後編】

 ***

威嚇射撃と逃げる群衆

 兵士は空をつかむようにして手を上げて、頭は鈍器のようなもので殴られたように、骨が陥没して、その下には黒い液体が流れをつくっていた。着衣は黒く焼け焦げており、やはり黒ずんでいたパンツらしいものが目立つだけだった。死体の傍らに立っていた小太りの中年男性が「この野郎が俺たちの仲間を殺したんだ」と言うと、死体に向けて「ペッ」と唾を吐きかけた。広場に向かって進み、広場近くの歩道橋に上ると、歩道橋の欄干に黒焦げになって表情も分からなくなった兵士らしい男が、縄で縛られて吊されていた。その後も、広場に近づくにつれて、同じような兵士の死体をいくつも見た。

 さらに広場のすぐ近くにたどり着くと、戦車が数十台並び、砲身が広場の外側に向けられ、戦車の前には完全武装の軍服姿の兵士が数百人並んでいた。対峙した市民ら数百人が兵士に石やレンガの破片を投げつけて、「人殺し、ファシスト帰れ」などと叫んでいる。すると、「パーン、パーン」という銃声が鳴る。蜘蛛の子を散らすように、後ろに走って逃げる群衆。まもなくすると、再び群衆が前に出て石やレンガの破片を投げる。軍の威嚇射撃。逃げる群衆。これが繰り返されていた。

トウ小平を許さない

 筆者はさらに広場に近づくために、幹線道路から路地に入る。連日の広場通いで、この付近の地理には詳しくなっていた。路地に入った途端、広場から逃げてきたというメガネを掛けた男子学生が市民4人を前にして、「奴らは3歳の赤ん坊を撃ったんだ。同級生の女子学生をいま病院に送ってきたところだ。彼女は死んだ。血まみれになって……。同級生の中には身体を吹き飛ばされた者もいる。奴らは鬼だ」と涙ながらに語っていた。彼のワイシャツは赤い血に染まり、白い部分はほとんどなくなっていた。

 さらに、広場に向かって進む。いったん止まって、いま見聞きしたことを取材手帳にメモしていると、「お前は日本人の記者か?」と声をかけられる。50歳くらいの男性だった。「そうだ」と答えると、「私は日本に行って、日本の自動車会社で働いていたことがある」と話した。彼は「軍が撃った。こんなことは許されない。もう中国は終わりだ。トウ小平を許さない」とぼうぜん自失の体で、筆者に語りかけてきた。(そうか、中国は本当に終わりかもしれない)と筆者も思った。

頭皮を銃弾がこすった

 とにかく、天安門広場がどうなっているのか、見てみたい。周りを見渡すと、人民大会堂(国会に相当)東あたりが手薄になっているように見えた。とはいえ、広場と数十メートルしか離れていない道路沿いだ。近くに自動小銃を持った数十人の兵士が腰を下ろしている。顔から汗が噴き出しており、疲れ切った表情だ。頭から血が出ていたり、頭に包帯を巻いている兵士もおり、みな一様に無表情だ。いったん任務が終わり、小休止といった風情だ。

 ここから広場中央まで数百メートルだ。数十人の兵士が何かを燃やしているのか、黒い煙が立ち昇っている。「死体かもしれない」と思い目をこらすが、遠くて分からない。カメラを構えたら、銃撃される恐れがあるので、怖くてカメラを出せない。

 すぐ近くで、兵士に対し、「このファシスト野郎、人殺し」などと罵声を浴びせている若い男がいる。兵士らもじっと男をにらんでいる。と思う間もなく、「パン、パパン」と銃声。頭から血を流した男が慌てて走って逃げた。頭皮を銃弾がこすったらしい。危ないところで命拾いしたようだ。一歩間違えば、自分に当たるかもしれなかっただけに、さすがに、これには恐怖を覚えた。

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