辞令のまま異動を繰り返した40代vs.「配属ガチャは嫌」で職場を選ぶ20代 「キャリア権」に見る働きかたの世代間ギャップ
今の大学教育のままで「ジョブ型」移行は難しい
ここ10年くらいでよく目にするようになった言葉に「ジョブ型」というものがあります。2024年、岸田文雄内閣の骨太の方針にも「ジョブ型」の推進が盛り込まれていました。
「ジョブ型」とはいったい何かというと、欧米の働き方を指し、これに対し日本型の働き方は「メンバーシップ型」と呼ばれます。命名者である濱口桂一郎先生の『ジョブ型雇用社会とは何か』(2021年、岩波新書)で詳しく解説されています。
私も何度か濱口先生からお話を聴いたことがありますが、「ジョブ型/メンバーシップ型」の名づけ親として、「今の使い方は間違いだらけ」と一刀両断されています。ジョブ型雇用は日本の雇用慣行にはなじまない部分が多く、例えば、ジョブ型雇用になった場合、日本の大学生の大半は就職することができなくなってしまう恐れがあります。
入社して研修を受けて、それから「配属ガチャ」と何度かの「異動ガチャ」の末、管理職になっていく。「キャリア権」のないガチャだらけの日本の会社組織。これがメンバーシップ型です。
これには問題も課題も多いわけですが、そこをジョブ型にするとどんな変化が起こるかというと、経団連の2023年の特別委員会報告によれば「ジョブ型は働き手が自身の能力開発、スキルアップの目標を立て主体的なキャリア形成、エンゲージメント向上につながり、社外の人材を受け入れやすくなる」としています。
一方で労働組合側は「ジョブ型雇用の定義や内容についての共通理解が不十分であり、言葉だけが独り歩きしている」と反論します。私が大学の講師の一人として言うならば、もしもジョブ型雇用に移行していくのならば、就活問題にとどまらず、根本的に大学の教育内容の見直しが必要になると考えます。今の大学教育には専門性が足りず、社会人としてのほんの基礎編のリテラシー教育しか行っておらず、労働者教育の多くの部分は企業での研修や実践に任せているのが現状だからです。
変わっていく会社に翻弄され続ける40代
このまま今の大学のリテラシー教育を変えずにいくのであれば、大学を出てから専門学校、専門職大学院で学ぶ必要があります。またはヨーロッパに見る「ギャップイヤー」のような、大学を出てから数年はインターンなどで経験を積んでから就職するというシステムになるかと思います。
しかしこの場合、収入が低くなってしまう若者の貧困化、それに伴う少子化、また政府や自治体の税収の減収問題なども出てくると思われます。それよりも、「キャリア権」を重視して、自律的なキャリア形成を育む会社にしていくことが、望ましいのではないでしょうか。その両立はできないものでしょうか?
ここまで、2000年以降を生きてきた20代の若者たちが、どんな環境の中で生きてきたかを見てきました。そこで育んできた仕事観。子ども時代は別にして、大学生活から考えると約10年で育んできたキャリア観は、その上のミドル層の人たちとはかなりのズレがあり、そこが働き方のズレになっているように思います。
一方、45歳前後のミドルは働き方改革の真っただ中で、変わっていく波に翻弄されてきた世代と言えます。それらの改革が終わったところで、今の20代は社会に出たのです。つまりホワイトな会社が当たり前。そうでないのがおかしい。
例えば、有給休暇は全部取れて当たり前。ホワイトというよりも当たり前なのです。ミドル層なら「うちの会社ってホワイトになったよね? え? 男性も育休を取っちゃうの? え、1週間くらい? えええ、 1ヵ月!? すごいね」となるでしょう。
この感覚のギャップは無理もないのです。そこをどう切り替えていくか。間違っても若者を変えようとしてうまくいくはずはありません。だって、若者を教育して自分たちの再生産をしても不毛ですよね?
若者の変化を受け止めて、変わらなければならないのはミドルのみなさんの意識です。もちろんその上のシニア層にも変わってほしいですが、年を取れば取るほど変化することは難しく、彼らはやがて労働市場のメインストリームからは退場していきます。「お疲れさま でした」と見送るだけですね。
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この記事の前編では、同じく『若者が去っていく職場』(上田晶美著、草思社)より、“超売り手市場”を背景に増えているという、「史上最強に強気な若手」を巡って起きた“もやもや”について、上田氏が実際に見聞きした事例をご紹介している。



