「母親を殺しました」と出頭「17歳少年」のバッグに入っていたのは…会津若松“実母惨殺事件” 記録が廃棄された犯行の詳細
カラオケ店に入店
母親の誕生日に殺害し、首を切断までし、そしてわざわざその頭部を警察に届ける……。あまりにも理解の域を超えたその犯行に、何が少年を駆り立てたのか。
少年は母を殺害後、カラオケ店に入店し、歌を歌っている。そして、
「午前5時ごろ、少年はうちに来ました」
と明かすのは、市内のネットカフェ店長である。
「米ロックグループのDVDを観ただけで、ネットはしていません。ショルダーバッグを持ち、手には包帯をしていましたね」
そして午前6時20分。少年はそのネットカフェからタクシーを呼んでいる。
「7時前には配車してます。そこから会津若松署まで乗せたようですが、後で後部座席を見たら、血のような黒いシミが付いていたそうです」(タクシー会社幹部)
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逮捕後、メディアによる取材でさらに驚愕の犯行状況が明るみに出た。
少年は頭部だけでなく、母の右腕も切断していた。その右腕は白色の塗料で着色され、室内にあった観賞用の植木鉢に挿されていた。指は円のマークを形作っていたという。まるでオブジェのようだ。
また、少年の供述によれば、犯行の理由は、「誰でもいいから殺したかった」というもの。遺体をバラバラにして天井から吊るそうとしたとも述べている。アパートからは、殺人事件をまとめた本や、死体損壊をテーマにしたイギリスの作家の小説、残虐シーンが描写されている日本のマンガ11巻が押収されている。
さらに、後に少年は、当初は同居する弟の殺害を企てていたとも供述している。理由は弟が「食事を作らないため」。5月14日の朝、殺害を思い立ち、午後には凶器となる包丁やのこぎりを購入。しかし、14日の夜、母親がアパートを訪れたため、「まず弱い母親を殺した」。その後は「疲れたから」と弟を襲わなかったというのだ。
不可解さ極まりない供述と、窺い知れない少年の内面――。一体、何が彼をそうせしめたのか。果たして少年はどのように生まれ、どのように育まれていったのか。【後編】では、その来歴を詳報する。



