「持ち株の時価総額20億円超で配当金だけで年間数千万円」 森山裕幹事長の素顔とは 「気配りの人で、記者にはお菓子、配達員にも飲み物を」

国内 政治

  • ブックマーク

配当金だけで年間数千万円

 一方で91年、知人の経営者に頼まれ、IT企業のフューチャーシステムコンサルティング(現・フューチャーアーキテクト)に210万円を出資して42株の未公開株を入手。これが後年、氏に莫大(ばくだい)な資産をもたらすことになった。

「フューチャー社は99年に店頭公開すると、株価は初値で3350万円を付け、森山氏の所有する株式は約14億円の評価額に達しました。以降、森山氏は配当金だけで年間数千万円を手にしている。過去の取材で、“政治資金パーティーを開催する必要がない”と明かしています」(前出のデスク)

 98年参院選の鹿児島選挙区で初当選し、国政に進出。加藤紘一元幹事長の宏池会に所属したものの、加藤の乱で宏池会が分裂。紆余曲折を経て、青木幹雄元参院幹事長が率いる参院平成研に所属した。

 転機が訪れたのは2004年だった。

「山中元通産相が亡くなり、その地盤を引き継ぐ形で04年4月の補選に出馬。見事、新人ながら2位以下を約10万票近く引き離す大差で圧勝し、衆議院議員に転じました」(同)

郵政民営化で造反後、復党できた理由

 しかし、再び試練の時が訪れる。衆院議員1年生ながら、小泉純一郎首相(当時)肝いりの郵政民営化関連法案の採決で造反。05年9月の郵政選挙では党の公認を得られず、刺客を立てられたのだ。もっとも、

「森山氏は刺客に2倍ほどの得票差で議席を守り抜きました」(前出のデスク)

 翌06年12月、復党を果たすが、これには山崎拓元幹事長(88)が大きな役割を果たした。

 山崎氏本人が振り返る。

「ある時、森山さんから手紙をもらってね。中身は言いませんが、実に奇麗な字で整然と文章が書かれており、私は感動した。それで小泉(元首相)に“郵政民営化に反対した者は国士的な人間だ。党に戻してやってくれ”と掛け合ったんです」

 07年8月、森山氏は正式に山崎派に所属する。

「森山さんは山崎氏を“オヤジ”と慕う一方で、山崎派の筆頭家老を自任し、当時首相候補だった同派の石原伸晃元幹事長(68)を“若”と持ち上げていました」(自民党関係者)

 その“若”が21年、落選。森山氏が後継を託された。

 山崎氏が言う。

「森山さんは酒を一滴も飲まないんですが、人付き合いはきちんとされる方で、人の話をよくお聞きになる。派閥の長の適任者は森山さん以外にいませんでしたし、他から異論も出ませんでした」

次ページ:「石破氏は森山氏に頼り切り」

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。