「校閲」に向いているのはどんな人? 「ことばの番人」がホンネで語る“成果が見えない仕事に耐えられる”ことが大事な理由

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校閲は「数字的な成果」が見えない仕事

 2番目として、「数字としての成果がほとんど見えない仕事」に耐えていける自信がなければ、この仕事には向いていないと思います。

 校閲の仕事はほんとうに、「数字的な成果」と対極にある仕事だなあとつくづく感じます。フリーランス校閲者の場合、文字数等をもとに報酬が支払われるケースもありますが、こと出版社の校閲部員においては「文字数」とか「今までに関わった本の冊数」といったものを単純に「成果」と言いにくいところがあります。なぜなら、それぞれの本や媒体で仕事日数も手間も大きく変わるからです。

 また、校閲者の成果として「誤植を報告された数が少ないほうが良い」というのは一理あるかもしれませんが、その評価方法自体にも難しさがあります。そして、校閲が素晴らしいから本が売れる、と簡単に結びつくものではなく、校閲者としてとても良い仕事をした、ということを対外的に認めてもらうのが困難な場面というのはたくさんあるのです。

 目に見える成果や評価といったものを一旦脇に置いて、とにかく目の前の仕事をコツコツ、納期を守って取り組み、常に最大のパフォーマンスを出せるように努力する……字にすると何となくカッコいいですが、実態は周りが思っている以上に地味で、ストイックなものではないでしょうか。

文章に好き嫌いがある人は……

 最後に第3の要素として、文章の好き嫌いが仕事に影響してしまう人には、校閲の仕事は向いていないと思います。

 例えば週刊誌校閲の仕事をしていると、かなり過激な描写が含まれる官能小説を読んだ直後に一転、硬派な政治の記事の調べ物をして、その次はエッセイ、書評、経済……などとまさに「何でもあり」な世界ですから、ジャンルの好き嫌いをいちいち言っていられません。

 また、「日本史が大嫌い」という方が、戦国時代の長編小説の校閲を担当することはできるでしょうか。「英語は読みたくない」などというのも当然、通用しませんし、「この作家さんの文章はあまり好きではない」とか、「内容が難しすぎて、自分にはファクトチェックが不可能だ」と言って、仕事を途中で放棄することも当然、できません。

 現場にいると皆さん、飄々と仕事をなさっているように見えるのですが、実は「何でも読める」というのはそれだけで一つの技能なのではないかと思うことがあるのです。

 文章を読んでいて、「自分が書いたほうがうまく書ける」と感じてしまうことが多い方も、もしかすると校閲者にはあまり向いていないかもしれません。校閲業はリライト業ではありませんし、作家さんやライターさんの仕事とは根本的なところからまったく違います。

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