新京成→京成、泉北→南海 政治に翻弄された東西の私鉄
ニュータウンは理想郷になれたか
新京成がたどった歴史は波乱に満ちている。一方の泉北高速もかなり紆余曲折を経て今に至っている。泉北高速は1971年に一部の区間が開業した。新京成と比べると、その歴史は浅い。
泉北高速は泉北ニュータウンと呼ばれるエリアを走っている。泉北ニュータウンは、大阪市の人口が高度経済成長期に急増したことを受けて計画されたベッドタウンだ。
泉北高速は泉北ニュータウン住民の足となるべく建設されたが、建設は遅々として進まなかった。それは泉北ニュータウンの人口が思うように増えなかったことに起因している。
泉北ニュータウンは1965年から開発事業を開始。当初は約18万人が居住する住宅都市を想定していた。
しかし、泉北ニュータウンは未開発の大地に計画されたこともあり、鉄道を敷設しても収益化できるほど人が住んでいなかった。
こうした事情が考慮されて、泉北ニュータウンの足を担う鉄道路線は民間事業者に任せることができなかった。大阪府は第3セクターとして大阪府都市開発会社を設立し、同社に泉北ニュータウンの開発と泉北高速鉄道の運行を任せることにした。
歳月の経過とともに泉北ニュータウンは開発が進み、順調にベッドタウンとして発展していった。しかし、2000年頃から泉北ニュータウンは人口が頭打ちとなる。新しい世帯の流入が止まったことから、泉北ニュータウンの高齢化は顕著になっていく。
ニュータウンの居住者が歳月とともに高齢化し、街の新陳代謝は行政課題にもなった。しかし、泉北ニュータウンは大阪市まで遠いことがネックとなり、若年層の転入が進まなかった。
行政が高齢化による衰退に歯止めをかける妙案を模索する中、泉北ニュータウンを揺るがす出来事が2008年に起こる。それが橋下徹大阪府知事(当時)の誕生だった。
橋下府知事は大阪府の財政赤字を削減することを打ち出し、赤字額を穴埋めする財源として大阪府都市開発会社の株式を売却することを発案した。
泉北ニュータウンの開発は軌道に乗ったこともあり、大阪府都市開発会社は大阪府に年間で約1億2,000万円の配当を出す優良企業になっていた。株式の売却は一時的に府に莫大な収益をもたらすが、株式を売却すると毎年の配当収入はなくなる。そうした優良資産を手放すことに対して、大阪府議会からは反対意見が相次ぐ。
それでも橋下知事は売却方針を変えなかったことから、南海が泉北高速のその買い取りに手を上げた。
しかし、大阪府は財政赤字を解消する目的で株式の売却をするので、すぐに売却先を南海には決めなかった。そして、1円でも高く株式を買ってくれる相手を探した。こうして2013年にアメリカの投資ファンドであるローンスターに売却を決定する。
外資系の投資ファンドが泉北高速の運営主体になることで、沿線住民は動揺した。泉北高速は泉北ニュータウンの生活に欠かせない交通インフラのため、投資ファンドのような企業に株式を売却したら、安定的な運行ができなくなる。そうした理由から、住民や沿線自治体からはローンスターへの売却に反対意見が噴出した。
大阪府都市開発会社は第3セクターのため、株式を売却するには大阪府議会の議決が必要だった。沿線住民や自治体から反対が強くなったことを受け、府議会はローンスターへの売却を否決する。
その後、大阪府は随意契約による売却へと切り替え、府議会の同意を得て南海へと株式を売却。こうした経緯によって、2014年に泉北高速は南海の系列会社になった。そして、このほど南海と統合されて泉北線になった。
それまで泉北高速と南海は別々の会社だったので、両社の路線を通しで乗ると初乗り運賃を2度払うことになる。その必要がなくなったことで、運賃は割安になった。
南海は中百舌鳥駅―なんば駅間でOsaka Metroの御堂筋線と競合している。御堂筋線は天王寺駅や梅田駅といった繁華街も経由するので、使い勝手がいい路線でもある。
中百舌鳥駅で御堂筋線に乗り換える利用者は一定数いるので、南海は御堂筋線に乗客を奪われないように苦心してきた。泉北高速との統合によって運賃が安くなるので、それを謳い文句に御堂筋線との乗客争奪戦が今後は過熱するだろう。
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