新京成→京成、泉北→南海 政治に翻弄された東西の私鉄
2025年4月1日、長らく準大手私鉄とされていた新京成電鉄(新京成)と泉北高速鉄道(泉北高速)は、大手私鉄の京成電鉄と南海電気鉄道にそれぞれ統合された。統合に伴って新京成は新たに京成松戸線、泉北高速は南海泉北線と路線名を変更している。
【写真】もう見られなくなる?新京成の「白とピンク」カラーの車体 ほか
新京成と泉北高速どちらも系列の子会社だったので、沿線住民や利用者などから統合は自然な成り行きと受け止められている。しかし、ここまで両社の経緯をあらためて振り返ってみると、どちらも政治に翻弄されてきた路線という共通点が浮かび上がる。
新京成は戦後間もない頃に開業。対して、泉北高速は高度経済成長期に開業するなど、両社が歩んできた歴史は大きく異なっている。
新京成も泉北高速も東京・大阪といった大都市のベッドタウンのアクセスを担う鉄道として戦後は政府や自治体から一心の期待を集める路線だった。
軍用地から住宅地へ──新京成の誕生
松戸線は戦前期に鉄道連隊の演習線として整備された。鉄道連隊とは戦地で鉄道を建設したほか、車両を修理・運転する任務を与えられていた部隊だ。そのほか敵の鉄道を破壊するといった任務もあった。
この地に鉄道連隊の演習線が整備された理由は、陸軍が広大な演習場を有していたからにほかならない。関東大震災で帝都・東京が壊滅すると、陸軍は自然災害によりリスクヘッジを考慮して軍施設や戦力を近郊に分散した。それにより千葉市は軍都として発展し、千葉市から近郊に軍用線が敷設された。
戦後に鉄道連隊が役目を終えると、演習線は旅客転用が模索される。その運行主体について、西武鉄道と京成が争奪戦を繰り広げた。西武は後に衆議院議長まで上り詰める堤康次郎が経営していた鉄道会社だったため、政治力に物を言わせて自社線に組みこもうとした。しかし、地元という地の理を活かした京成に軍配が上がる。
京成は演習線を手に入れたが、陸軍用地に建設されていたこともあって沿線は宅地化されていなかった。当然ながら旅客需要はない。そのため、京成は旅客転用にあたって需要の創出に腐心する。
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