「オウム抗議の座り込みをすると、警察はわれわれを排除した!」 上九一色村で教団と対峙した村民が振り返る 「地下鉄サリンは防げた」

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「手柄話ではなくて、『こういう失敗があった』と言うべき」

「確かに捜査機関のみなさんが血のにじむような捜査とか仕事をなさったのは分かりますけど、こちらは命を奪われているわけですから」

 こう訴えるのは地下鉄サリン事件で命を落とした霞ケ関駅助役・高橋一正さんの妻・シズヱさんだ。先の検察内部文書に目を通しての第一声だった。

「自分たちがいかに一生懸命やったかという手柄話ではなくて、まず『こういう失敗があった』と言うべきじゃないのですか? 表現を見ると文章の端々でだいぶズレているなと思いますよね」

 そしてシズヱさんは語気を強めた。

「やはりその時点、その時点でちゃんと対応していれば防げたはずです。そうしていれば、地下鉄サリン事件が起きてから警察・検察を総動員して『大変だ、大変だ』って、そんなことにはならなかったんじゃないかと強く思います。今回の問題点を教訓にして、後手後手に回らず、小さな種のうちから気を付けて犯罪の芽をつぶしていってほしいですね」

村民より信者の方が多くなる勢い

 実はもう一人「地下鉄サリン事件は防げた」と常々、訴えてきた人物がいる。オウムが山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)に侵出して以降、いち早くその“異常性”に気付き、村民として教団と対峙してきた竹内精一氏だ。今年で御年97歳だが、かくしゃくとして記憶力も素晴らしい。

 竹内氏によるとオウムが上九一色村の土地を初めて取得したのは1989年8月。村も住民も分からなかったという。翌90年5月には、建築確認が下りたことが分かり、住民たちは激怒する。翌6月に「富士ヶ嶺(ふじがね)オウム真理教対策委員会」を発足させ、竹内氏は代表委員の一人となる。村民らは県の土木事務所や保健所に立ち入り検査を要請するも、当局は法的措置に慎重な構えだった。

 オウムは上九一色村に次々と土地を確保し、転入する信者も増えていく。竹内氏によると村民より信者の方が多くなる勢いだったという。翌91年2月、代表委員が塀の下から潜り込んで地下室と思われる写真を撮り、建築確認申請と違うのでオウム施設への立ち入り調査をしてほしいと都留土木事務所に要請する。オウムは建築申請していない地下室を造り始めていた。

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