黙々と机に向かい誰とも話さずに1日が終わる? 知られざる「校閲者」の日常をご紹介「一日中しゃべり通しの書籍校閲もいますね」

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雑誌校閲の「差し込まれ感」

 次に、雑誌校閲について。書籍と雑誌の大きな違いは、雑誌校閲が「チーム制」であることです。

 書籍校閲も完全な一人仕事というわけではないのですが、雑誌の場合はチーム内でお互いの担当ゲラの素読み・合わせ作業をし合いますし、自分の担当が終わらなければ全体が終了できないため、皆で協力して仕事を進めていく、という一種の連帯感のようなものが生まれます。ただ、連帯感と言ってもやはり独立性は強いため、「今日もみんなで頑張ろう! エイエイオー!」みたいな雰囲気ともまた違います。

 こと週刊誌の場合、一つのゲラの初校に最初から最後まで中断なく没頭できるというケースはほとんどなく、途中で色々な仕事、しかも「すぐにやらなければならない仕事」が何度も何度も差し込まれてきます。

 私も当初、週刊誌校閲の「差し込まれ感」と周囲の処理スピードの速さにカルチャーショックを受けました。異動時はキャリア12年目でしたが、新人として1からやり直すような、全く違う仕事をしているような感覚に襲われたものです。また、編集(記者)との会話やチャットでのやり取りも日々頻繁に行われ、人と話す機会は書籍校閲担当(進行係以外)に比べると遥かに多いです。

 そして雑誌は、書籍よりどうしても締切がタイトなので、ゆっくり校閲して自分のところにゲラを滞留させていると全体の進行の妨げとなってしまいます。かと言って、あまりにも速く校閲しすぎると綻びが多くなり、後の工程で修正箇所が増え、むしろそれはそれでボトルネックとなり得ます。

 この「スピード」と「質」の両立というのは雑誌校閲者の永遠の課題で、どちらかだけではなくどちらも追究しなければならないところに難しさがあります。

 また、雑誌のほうが夜勤寄りになることが多く、体調管理がポイントになります。とはいえ、世の中の流れとともに極端な深夜勤務は少なくなってきました。諸先輩方から昔の話を聞くといつも震え上がります……。

雑誌校閲の良さもある

 ここまでの内容から、「雑誌校閲より書籍校閲のほうが良さそう!」と思う方が多いかもしれません。しかし、雑誌校閲の良さもあります。

 たとえば「校了したら振り返らなくていい」。

 書籍校閲の場合、校了後にも書評やプレスリリース、帯掛け替えなどの確認作業が突発的に舞い込み、4冊同時進行などとなれば「この本の内容は、ええと……」と思い出すところから始まります。

 それに対して、雑誌校閲は出たら見送るだけ(というか、見送るしかない)。休みが明ければすぐに次号の作業が始まります。その意味で雑誌校閲のほうが「校了=終わり」という感覚が強く、オンとオフの切り替えがしやすい気がします。書籍校閲のほうが有休の融通が利きやすいのはありますが……。

 そして、雑誌校閲のほうが「同僚の校閲ゲラ」を見る機会が非常に多く、校閲者としての勉強の機会に恵まれている、ということも強調したいです。「なるほど!」と膝を打つような毎日です。実際には終始無言で、膝も打たないのですが……。

 次回は一歩踏み込んで、校閲者に向いている人とはどういう人なのか、ということについて(自分のことは棚に上げて……)考えてみようと思います。

甲谷允人(こうや・まさと Masato Kouya)
1987年、北海道増毛町生まれ。札幌北高校、東京大学文学部倫理学科卒業。朝日新聞東京本社販売局を経て、2011年新潮社入社。校閲部員として月刊誌や単行本、新書等を担当し、現在は週刊誌の校閲を担当。新潮社「本の学校」オンライン講座講師も務める。

デイリー新潮編集部

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