「自決を暗に予告して大笑い」「豚骨ラーメンのように濃厚な作品」 三島由紀夫生誕100年 著名人たちが語り尽くした「スター性」とオススメ作品
作品よりも先に鮮烈な生き様に触れ……
――次に、「三島に苦手意識があった」が、のちに作品を手に取り衝撃を受けたという、作家・澤田瞳子氏に登場していただく。
***
正直、三島由紀夫には苦手意識があった。私が生まれた時には三島は故人で、その鮮烈な生き様に作品より先に触れたとの理由が大きい。それがふと作品を読もうと思ったのは、中学2年の頃。高橋克彦氏のミステリー、『パンドラ・ケース』がきっかけだ。かつて卒業記念に埋められたタイムカプセル。その開封がもたらす殺人事件を描く本作では、主人公たちの学生時代に亡くなった三島由紀夫がモチーフの一つとして登場する。
――三島はだれでも読んでいたじゃないか。
思春期真っ盛りの当時の私に、高橋氏の描くキャラクターは憧れの「大人」だった。ふむ、そういうものか。ならば読まねばと手に取ったのが『午後の曳航』だ。
「これほどに細やかで濃密な感情に振り回されて生きているのか」
主人公の登は13歳。自分と年齢が近いとの単純な理由だったが、いざページを繰れば、登をはじめとする登場人物たちの細やかな心理描写に圧倒された。人とはこれほどに細やかで濃密な感情に振り回されて生きているのか。作中の出来事が少々ありきたりなだけに、その底流にとうとうと流れる自我と感情の奔流はかえって、自分は何を考えているのだとの問いを私に突き付けた。続いて読んだ『金閣寺』でもそれは同様で、京都に生まれ育った自分がよく知る実在の寺と、過去の放火事件をこのように捉え、解体・再構築し、一人の男の内面を暴き得る事実に衝撃を受けた。
人は文字と言葉でもって、己と世界を把握する。その後も多くの三島作品を読みふけったが、この二作は特別だ。小説の描き得る深淵を示すことで、私に世界を測る巨大な物差しを与えてくれた作品だからである。
[2/4ページ]