「なぜ商業路線の映画に出るのですか」…「釣りバカ日誌」で人気を博した「三國連太郎」は「緒形拳」の問いにどう答えたか

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「なぜ商業路線の映画に」緒形拳の疑問

 しかし、先の白井氏は、

「俳優の緒形拳さんは生前、私にこう言っていました。『あれだけの執念を持った俳優がなんで商業路線の映画に出るのか、信じられない』と。緒形さんは三國さん本人にも『こういう映画に出るのはなぜなんですか』と聞いたそうです」と、こう語る。

「それに対して、三國さんは“自分のプロダクションを持って、社員を抱えちゃうと、その経費のためにもやらねばならんのです"と答えたそうです。私も緒形さんと同意見で、なぜ三國さんのような俳優がああいう映画に出続けるのか、不思議でなりませんでしたね」

 もっとも、その「釣りバカ日誌」の撮影現場においても、三國の演技に対する頑固さは如何なく発揮されていたという。

「釣りのシーンでは、スタッフが用意した魚を針に引っ掛け、さも今釣れたかのように釣竿を引き上げることが多いのですが」と、ベテラン映画記者。

「西田さんは、スタッフが付けた魚が死んでいても、活きのいい魚が釣れたかのように釣竿を揺らしながら引き上げるのですが、リアリズムを追求する三國さんはそのやり方が気に食わず、釣竿を揺らさない。そういう時は、隣にいる西田さんが『スーさん、掛かってるよ!』とか言いながら、代わりに三國さんの釣竿を握って盛んに揺らすのです」

若い頃は常に孤独感、飢餓感があった

 芸能評論家の肥留間正明氏が言う。

「若い頃の三國連太郎には常に孤独感、飢餓感があった。それが年を取るにつれ変化していったのは、息子の佐藤浩市が自分と同じ役者の道を選んだことも影響したと思います。役者という絆で結びつくことによって、三國の最晩年までに2人の関係は少しずつ修復されていったはずです」

 三國は死去する2日前、病床でこう呟いたという。

「港に行かなくちゃ。船が出てしまう」

 狂気の俳優と畏怖され、孤高を貫いた男の末期のセリフとして、これほど相応しいものもあるまい。

 ***

 90年の人生を終え、名優はまた船に乗り、新たな旅に出たのか――。第1回【「現場で言葉を交わすところは一度も見なかった」 長男・佐藤浩市に“彼”と呼ばれた「三國連太郎」…親子共演作の監督が明かした“緊迫の撮影現場”】では、16歳で家を飛び出して放浪、戦地を経て職探し中にスカウトされるまでの若い時代と、佐藤浩市との確執などを伝えている。

デイリー新潮編集部

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