「なぜ商業路線の映画に出るのですか」…「釣りバカ日誌」で人気を博した「三國連太郎」は「緒形拳」の問いにどう答えたか
10年たったらお嬢さんと結婚させて下さい
まさに「愛欲」の二文字そのままの生活。そんな中で三國は太地の実家を訪れ、両親に挨拶をしている。太地と親しかった俳優の山城新伍は以前、本誌の取材に応じ、こう明かした。
「喜和子に聞いた話では、実家に行った三國さんはこう言ったらしい。『10年たったらお嬢さんと結婚させて下さい』と。それで両親を納得させてしまったというんだから、その押しの強さというかキャラクターというか、やっぱり三國さんって凄いやと思ったね」
65年に公開された内田吐夢監督の「飢餓海峡」の撮影中、三國はロケ地の北海道に太地を呼び寄せて逢瀬を重ねたが、その後、破局。
「『飢餓海峡』で三國さんが演じる犬飼は人を殺した後、左幸子さんが演じる杉戸八重という娼婦に出会い、その体をむさぼるように求める。男と女が抱き合い、布団を体に巻きつけてゴロゴロと部屋を転がるシーンがあるのですが……」
と、先の白井氏は語る。
「後に私は左さんにインタビューした際、あのシーンの時は布団の中で何をしていたのですか、と聞いた。すると左さんは『言っちゃっていいのかしら。三國さん、私のパンティーを引きずりおろそうとしたんです。私、必死で引き上げていたのよ』と話していましたね」
27歳年下の一般女性と4度目の結婚
また、左幸子は映画の「後日談」として白井氏にこんな話も明かしたという。
「左さんは太地喜和子さんと共演した際に『私は杉戸八重さん(役名)に男を取られました』と言われたそうです。『あの頃、私は「飢餓海峡」のロケをしていた山奥の、さらに奥の温泉で一人で三國連太郎を待っていたの。だから私は八重さんに男を取られた過去があるわけなの』と。凄い話ですよね」
三國が3番目の妻と離婚したのは72年。三國が49歳、長男の浩市が11歳の時だった。その後、自らの「死にざま」を描くドキュメンタリー映画の製作を思い立ち、スタッフと共にパキスタンやアフガニスタンを放浪。だが結局、映画は完成しなかった。
27歳年下の一般女性と4度目の結婚を果たしたのは81年。以後、放浪癖は鳴りをひそめ、若かりし頃の「狂気」も徐々に薄れていったようである。そして88年にスタートした「釣りバカ日誌」シリーズへの出演で、図らずも国民的な人気を得ることになった。
「西田敏行さんが演じるハマちゃんのボケをさらりと流しながらも親しみやすく、品位を感じさせる社長役は三國さんに適任でした。三國さんの存在によって、ハマちゃんの良さが引き出されている映画です」(映画評論家の北川れい子氏)
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