創業は「関ヶ原の戦い」の4年前! 「東京産」を貫く酒舗「豊島屋本店」は“居酒屋のルーツ”でもあった

  • ブックマーク

創業以来の「3つの危機」

「豊島屋には、創業以来、3度の危機がありました。最初は、明治維新です。社会も経済も一新され、貨幣価値も変わったので、それまでの掛け(未収金)が、回収できなくなってしまったのです」

 まさに、松本清張のデビュー作「西郷札」で描かれたように、時代の変化による、多額の“回収不能”事態に見舞われたのだ。

「2度目の危機が、関東大震災です。鎌倉河岸周辺も被害に遭い、鎌倉橋も倒壊。内神田に移転しました。それ以来、居酒屋は休止となり、酒の販売のみとなりました」

 そして3回目の、そして豊島屋最大の危機が、昭和になってからの太平洋戦争だった。

「当店は、明治神宮や神田明神に、お神酒を奉納してきました。そもそも主力商品である〈金婚〉が、明治27年の、明治天皇「大婚25年祝典」(銀婚式)をお祝いし、次の金婚式を宿願する意味で命名されたお酒です。ところが、戦況が厳しくなってくると、物資統制で、酒の原料であるコメの調達が困難になってきました。それでも、なんとか原料を確保し、この2大神社への奉納はつづけてきと伝わっております。それが、いまに至っても信用をいただけている理由のひとつだと思っております」

 この2大神社で、お祓いを受けた際、お神酒をいただいた経験のある方も多いと思う。あのお神酒が、この豊島屋のお酒だったのだ。

 しかし、さすがに1945(昭和20)年3月の東京大空襲は、乗り切るのが非常に困難だった。

「店は全焼です。何もかも、失いました。終戦後、おなじ場所で再開しようとしたのですが、一帯が占領軍に接収されてしまい、かないませんでした。そこで、現在の神田猿楽町(神田神保町の近く)に移転し、ようやく再開がかないました」

 その後、豊島屋は、「お客様第一、信用第一」「不易流行」(伝統と革新をバランスよく保つ)を家訓に、地域の協力も得ながら、東京で真摯に商いをつづけてきた。

「近年ではコロナ禍などの影響で、一時的に売り上げも下がりましたが、それでも、明治以来の3大危機に比べたら、たいしたことではありません」

 そんな豊島屋は、コロナ禍がまだつづく2020年7月に、関東大震災で途絶えていた、立ち呑み〈居酒屋〉を復活させるのである。

次ページ:日本酒の魅力を伝えるために

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。