「僕のほうが稼いでいるし子育てに専念したら」発言への10年余の恨みが爆発 63歳夫の“プレハブ小屋行き”が決まった夜

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「できちゃった」ものの、結婚に戸惑う彼女

 思いがけず、彼女から告白されてつきあうようになった。会社ではただの上司と部下、そしてふたりきりになると彼女は思いきり甘えてくるかわいい女性であり、ときには体を案じてくれる母のような包容力もあった。

「僕は当時42歳、彼女は39歳でした。ふたりともどこか気が緩んでいたというか、甘く見ていたというか……。つきあい始めてすぐに彼女が妊娠したんです。『私は子どもができにくい体質のはずだったんだけど』と彼女は戸惑っていた。どうしようと言われたら、結婚しようと言うしかないですよね。自分が親になる人生を想定していなかったから、ちょっと面食らいましたが、それもまた人生。できたのなら喜んで受け入れようと覚悟を決めました」

 ところが産んでほしい、結婚しようと言うと彼女が躊躇した。彼女もまた、母親になることを想定していなかったのだ。

「アラフォーになって子育てに挑戦というのもおもしろいんじゃないかと話し合いました。彼女の体が最優先だけど、妊娠を維持できるなら出産まで一緒にがんばろうよと」

 そこまで言って、彼はふうっと大きなため息をついた。やっぱり結婚する時点で何かが間違っていたんだろうか、あのとき僕は確実に彼女を愛していたんだけどと、ぶつぶつとつぶやいている。

「人生、いい年になると振り返ることが多すぎますよね。それだけ年とったということなんだろうけど」

 今の時代、アラ還なんて若いほうですよと言いかけたが、私自身も同世代がゆえにまさに「老い」を実感中で上滑りの慰めの言葉は出てこない。

梨紗子さんの母が手伝いに来てくれたものの…

 ともあれ、ふたりは結婚した。結婚と同時に、彼は実家を出て都内に中古マンションを買った。実家を売り払うことも考えたが、当時はどうしても売れそうになかったので、たまに風を入れに帰るしかなかった。

 彼女は会社とも話し合った結果、同じ部署だと仕事がしづらいと異動を申し出た。もともと広報関係への異動を希望していたのだが、会社はなぜかその願いをかなえてくれたという。

「広報の仕事は楽しかったようです。以前より生き生きとしていた。家でつわりがひどくても、仕事をすると忘れてしまうと彼女も笑っていました。あまりに元気で、出産の2週間ほど前まで仕事をし、産後2ヶ月で仕事復帰していた。彼女のおかあさんは地方で看護師をしていた人で、ちょうど退職したばかりだから手伝いに行くと言ってくれたんです」

 梨紗子さんの母は住み込んで主婦としてがんばってくれた。彼も極力、早く帰宅して息子のめんどうを見た。むしろいちばん世話を焼かなかったのは妻かもしれないと彼は苦笑した。妻は復帰した仕事に没頭していたのだ。

 ところが妻と母親は不仲だった。もともと折り合いが悪かったらしいが、遠慮なくお互いを傷つけるために言葉をぶつけあっているようにさえ見えた。怖くて家に入れないこともあったと博正さんは言う。半年あまりで母親は「やってられない」と帰ってしまった。梨紗子さんは「これですっきりしたわ」と言い放った。実の母娘の壮絶なやりとりを見せられていた彼も内心、ホッとした。

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