井上昌己、「YELL!-16番目の夏-」で球児たちの心を掴むも…ミリオン無しに「悔しい」

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第1回【日本の「ガールポップ」史に輝くシンガーソングライター 井上昌己が今も「素敵な理由」】のつづき

 1989年にデビューした井上昌己(55)は、ガールポップブームのひとつの象徴となった。ライブイベント「LIVE ‘GiRLPOP’」への出演やラジオ番組「GiRLPOP」のパーソナリティを担当するなど、慌ただしい日々を駆け抜けてきたパワーは、今も変わらないままだ。

(全2回の第2回)

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ライブイベントに最多出演

 1988年頃から女性シンガーが増えてきたことで、「ガールポップ」という言葉が使われ始めた。各アーティストが前面に打ち出していたわけではないものの、「LIVE ‘GiRLPOP’」が開催されたことからも、その言葉の広まりのほどは窺える。1992年から1998年にかけ、東京では新宿の日清パワーステーション(98年閉鎖)、大阪では複数の会場で開催されたこのライブで、最多となる9回の出場を誇るのが井上だ。

「会場の控室が一緒だったりして、横のつながりができました。同世代のアーティストとは、たまに誰かの家に10人ぐらい集まって朝まで……なんてことも。どこかでライバルみたいな気持ちもありはしたんですけど、ライブで仲良くなったことで、20年、30年経った今でも連絡をとっています。みんな年齢を重ねていて、会うのが面白いんですよ」

 特に仲がいいのは、同学年にあたる久宝留理子や鈴木結女、石岡美紀など。また学年は1つ上で、グラビア活動と共に「この愛のすべて」や「Moonlight Surfer」など多くの曲をリリースしているかとうれいことも交流がある。東京パフォーマンスドールのメンバーとしてデビューした穴井夕子とは、BAY FMの番組「GiRLPOP」のパーソナリティをともに担当。「ガールポップ」の潮流の中、多方面で輝きを放っていた。

「恋が素敵な理由」は違う歌詞だった

 井上の曲の中で高い人気を誇るひとつが、1993年1月に発売された11枚目のシングル「恋が素敵な理由(わけ)」だ。CMソングのコンペに向けて作った曲で、最初はサビの部分しかなかったという。

「サビだけを作って、いくつかのパターンでデモテープを録って出しました。他の方の曲の候補もあったと思いますが、その中で選ばれて。CM曲に決まったよとなって、そこから他の部分のメロディーを作ったんです」

「お願い、お願い……」というサビから始まる印象的な曲だが、当初は英語の歌詞と、今の形と印象は異なっていた。そのままのだったら、評価はどうなっていただろう。大げさにいえば、ガールポップシーン史を変えていた可能性もある。

 もうひとつの人気曲「YELL!-16番目の夏-」では、高校野球のベンチ入り15人に選ばれなかった補欠選手を歌った。井上自身の詞曲ではないが、テレビ番組「速報!甲子園への道」のエンディングテーマとして1989年から1993年まで使われ、人気を博した。

「当時の現役球児だけでなく、その後の球児も聴いていてくれてうれしいですね。レギュラーに届かなかった選手に向けてエールを送る歌ということで、強豪校であっても、甲子園に出られなかった代のOB会に呼ばれるんですよ(笑)」

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