日本の「ガールポップ」史に輝くシンガーソングライター 井上昌己が今も「素敵な理由」
1988年頃に巻き起こった「ガールポップブーム」の中でデビューしたシンガーソングライター、井上昌己(55)。「恋が素敵な理由」「YELL!-16番目の夏-」などのヒット曲で知られるが、シーンを彩りながら今もなお、毎年、全国をライブで回る稀有な存在だ。井上を今なお突き動かす原動力は、全国で待つファンの存在なのだという。
(全2回の第1回)
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【写真】ガールポップの“顔”としてブームをけん引した当時…写真で振り返る井上昌己
「曲を作れるってすごいことなんだ」
愛媛県西部、大分県に向かって宇和海に突き出す伊方町。その東隣にある八幡浜市で生まれ育った。井上の音楽は、2歳上の姉が習っていたオルガンを見よう見まねで弾くことから始めた。
「弾けたんですよね、最初から。小学校に上がったらピアノも買ってもらい、自分が歌うよりは、どちらかというと作曲とかそういう裏方をやりたいと漠然と思っていました。小学2年生頃からは、ピアノやオルガンを弾いていたら自然にオリジナルの曲がいっぱいできるように。そんな感じで曲を作り始めました」
3年生の時には、遠足を友達と楽しんだ気持ちを即興で「風船に乗って空に飛んでいけたらいいな」という曲にした。
「その曲を仲良しの友達のお母さんの前で歌ってみたら、『それ、昌己ちゃんが作ったの?すごいわね』って驚かれて。曲を作れるってすごいことなんだ、みんなは曲を作るってしないことなんだ、って思うようになりましたね」
全国中学生テープ大賞でグランプリ 自分で歌うことを目指すように
1992(平成4)年10月に伊予テレビ(現・あいテレビ)が開局するまで、愛媛県にはTBS系の民放局がなかった。それゆえ「ザ・ベストテン」を見ることはなかったが、日テレ系の「ザ・トップテン」「歌のトップテン」や、NHKの「みんなのうた」などを好んで視聴していた。中学生になるとラジオを聴き、LPレコードを購入するようになった。シンガーソングライターの歌をよく聴いていたという。
「女性ならユーミン(松任谷由実)さんや竹内まりやさん。男性はオフコースさん、中学になってからは佐野元春さんが好きで。その頃、ニューミュージック系と言われていた方たちの音楽を好んで聴いていました」
ただ、歌に関しては全く自信がなかった。親戚の集まりで「歌って」と言われても頑として首を縦に振らなかった。だが、中学3年時に転機が訪れる。
「旺文社が出していた学年誌『中三時代』を読んでいたら、中学生を対象にしたコンテストがある、という記事を見つけたんです」
1984年開催の「旺文社&ソニー全国中学生テープ大賞」だった。早速、作曲部門に応募した。課題となる歌詞が掲載され、それに曲をつけるというものだった。ピアノの弾き語り曲をカセットテープに録音して応募したのが初夏のこと。選考をすっかり忘れていた年明けになり、旺文社から学校を通じて連絡があった。結果は全部門の中から選ばれるグランプリ。学校の体育館で表彰され、地元紙やテレビ局が取材に訪れ、地元ニュースでは受賞曲も流れた。
「それまで大勢の人の前で歌ったことはなかったんですが、曲を褒められるよりも『歌がうまいね』とか『声がかわいいね』といった声をたくさんいただいて。じゃあ歌を作るだけじゃなくて、自分でも歌うシンガーソングライターを目指そうかなって思うようになりました」
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