体長2メートル、300キロの「巨大ヒグマ」が目の前に…「秋田八幡平クマ牧場事件」殺人クマ6頭と「猟友会」攻防の一部始終 「殺らなければこっちが殺られる」
6頭目
上空をヘリが飛んでいた。それは地元テレビ局のもので、カメラは横たわる被害者をとらえていたが、
「内容が生々しすぎるということで放送されることはなく、映像は封印されました」(テレビ局関係者)
ヒグマは餌場から出てこない。トタンを剥がして中の様子を確かめるため、バックホー(ユンボ)に乗り込んだのは、すでに4頭に弾を命中させているB氏だ。B氏がバックホーを操ってトタンを剥がすと、先刻被弾した5頭目のヒグマが息絶えていた。B氏が話す。
「その近くに6頭目の熊がいた。2メートル、300キロ級だった。距離にして5メートルの位置で、今にも飛びかからんとする体勢で、こちらを睨みつけていた。熊はじりじりと後ずさり、通路の窪みに体を潜ませ、頭部だけを出してこちらを窺っていた。熊との距離は10メートル。すぐには飛びかかってこないと判断した俺は、バックホーのドアを開けた。何かあったら身を隠せるように半身だけを車外に出し、ライフルを構えて、狙いを頭部に定めて引き金を引いた」
直後、最後の一頭が横倒しに倒れた。時刻は午後3時40分頃。脱走したヒグマとの息詰まる攻防が始まってから、5時間以上が経過していた。
遺族の嘆き
亡くなった田中ハナさんの長男が声を詰まらせる。
「やっぱりかわいそうだよ……。なんぼ痛かったべなあって。首の骨が折れて、それが死因だって警察からは聞いている。遺体の体の部分はビニールにくるまれたままだから状態はよく分からないけど、顔は切り傷だらけになっている。クマ牧場では元々、親父が働いていて、お袋も15年以上前から一緒に働いてたんだ。孫を牧場に連れて行ったことも何度もあった。孫だもの、そりゃ喜んで、餌のパンを買ってやったりしていた」
もう1人の被害者、田中シゲさんの三男は、
「ハナさんとこはもう遺体を戻してもらったけど、ウチは損傷が激しくて……。顔では判別がつかない。警察から聞いた話では、右腕と左の指がない。食べられてしまったんでしょう」
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以上が事件の経緯である。クマの逃亡の原因は言うまでもなく、運動場の隅に雪山が出来たこと。ヒグマの生態に詳しい北海道野生動物研究所所長の門崎允昭氏も当時、こう語っている。
「雪が吹き溜まったところを足場にして熊が外に出る事件は、70年代に北海道のクマ牧場で2件起こっています。そのうち1件では、3人が襲われて1人が亡くなりました。牧場は、どんな状況になっても、熊が囲いや檻の中から人がいるところへ出られない構造になってなければならない。それをしていなかったのだから、まさに人災だと私は判断しています」
秋田県警はその後、クマ牧場の経営者と男性従業員を業務上過失致死容疑で逮捕、2人は秋田簡裁で罰金50万円の略式命令を受けた。牧場は事件後2カ月で廃業した。
「八幡平クマ牧場事件」は荒れ狂うクマの前では、人間があまりに非力な存在でしかないという事実をまざまざと示している。
【前編】では、檻から脱走したクマによって、従業員女性2名が襲われ、犠牲者となるまでの経緯を記している。
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