元オウム最高幹部が語る、ホームレス支援の「大家業」に人生を捧げる理由 「家賃が回収できず、ゴミ屋敷にされることも」

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「最終戦争が起こらなかったことで自問を繰り返すように」

 野田氏が続ける。

「当初は私も被害者賠償には反対の立場を取っていましたが、麻原が予言した99年の最終戦争(ハルマゲドン)が起こらなかったことで自問を繰り返すようになりました。02年ごろ、ようやく解放されたといいますか、オウムの罪を認め、償いの必要性を強く意識するようになったのです。ただ、幹部としての責任も感じており、自分だけ抜け出すことは考えられませんでした。とくに出家信者たちの多くは家族から縁を切られ、お金もなく、仕事に就けず、行く場所もない。教団代表として彼らの面倒を見つつ、麻原が犯した罪を認識させなければならないと思っていました」

 しかし、その思いは麻原を信奉し続ける信者たちと麻原ファミリーに伝わることはなかった。

「除名されて肩の荷が下りたと思ったのは事実です。ただ、それでも元幹部として償いから逃れることはできません。直接の賠償はもちろんのこと、社会において、自分に何ができるのか。模索した末、たどり着いたのがホームレスの支援でした」

「支援する側にも生活が」

 野田氏は麻原の呪縛から解かれる過程で、資本主義について考えを重ねたという。資本主義の行きつく先に生まれるのが格差や人間関係のほころびなら、オウムもまた、その中の一つではないか、と。

 野田氏の思いは08年のリーマン・ショックで目の当たりにした企業の倒産や派遣切りで一層強くなり、教団を除名される少し前から、「派遣村」や貧困支援の団体を訪ねるようになった。だが、それらのコミュニティーは彼にとって決して居心地のいい場所ではなかった。

「何度かボランティアにも参加しましたが、オウムの元幹部ということですぐに疎外されました。もちろん、これは受け入れざるを得ないことであり、先方を非難することはできません。でも一方で、何ごともカンパやボランティアに頼るという彼らの考え方にも違和感を覚えました。支援する側にも生活があるし、責任だって生じます。なにより私にはお金を得て被害者賠償に充てる必要がありました」

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