元オウム最高幹部が語る、ホームレス支援の「大家業」に人生を捧げる理由 「家賃が回収できず、ゴミ屋敷にされることも」
命じられたのは「核兵器」の開発
学問の壁にぶち当たり、時に自殺を考えるほど思い詰めて精神世界に傾倒しかけたところ、ふと書店で手にしてしまったのが麻原彰晃の著作であった。
麻原が説く人類救済と修行による能力開発。多くの信者がそうであったように、彼もまた、オウムの表向きの教義に引かれ、出家に至る道をたどった。せっかく入った東大も、親を説得して退学した。
しかし、ここから先は運命の巡り合わせとしか言いようがない。麻原が教団の武装化に際しこの物理の秀才に命じたのは、「核兵器」や、米軍ですら断念した「レールガン」の開発であった。もしこれが「化学兵器」だったら別の結末を迎えていたであろう。結果として重大事件での逮捕を免れ、数少ない残された幹部の一人として野田氏は「事件後」の教団運営の中心人物となっていった。
「教団の再建を目指し、(山梨県の旧)上九一色村などから追い出された出家信者を呼び戻したのは私です。彼らを住まわせるために競売物件の落札など、不動産取得のノウハウを得たのもこの頃です」
「麻原は死刑になるべき」と発言し、除名に
彼の言う不動産の話は後述するが、当時のオウムはパソコン販売やソフト開発などでかなりの収益を上げていたという。
だが、この収益を巡って、教団は分裂する。
「麻原ファミリーを除けば、99年に出所した上祐(史浩)氏が最も地位が高く、アレフを立ち上げたのも彼でした。当時の彼の考えは麻原の罪を認め、被害者賠償も行うというものでしたが、教団を裏で支配する麻原ファミリーはそれを認めず、中堅幹部たちを抱き込んで2004年に上祐氏を失脚させました」
そして、上祐氏に次ぐ地位にあった野田氏がアレフの代表を継いだが、彼もまた「麻原は死刑になるべきだ」と発言し、09年3月、教団から除名された。
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