天皇関連の発言めぐる脅しの電話に「あっ、右翼の方ですか」…相手を絶句させた“まさかの発言” 没後15年「井上ひさし氏」の伝説

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村上春樹氏の『1Q84』を絶賛

 井上氏が作家の大江健三郎氏らとともに護憲を訴える「九条の会」を立ち上げたのは04年である。

「井上先生が生涯で最も気にかけていた小説家は、大江健三郎先生でした。2人は同学年で、大江先生は一足先に学生時代にデビューしています」(担当編集者)

「大江さんがいたから、小説ではなく戯曲から創作の道に入った」。井上氏はしばしばこう口にしていたそうだ。

「晩年の井上先生は、小説よりも戯曲に力を注がれていました。昨年3月から上演された『ムサシ』は、藤原竜也と小栗旬のダブル主演。企画制作がホリプロだったということもあり、観客動員数8万人の大ヒットでした」(担当編集者)

 昨年ベストセラーになった村上春樹氏の『1Q84』については、「こんな素晴らしい小説を読んでしまっては、自分は小説家としてもう何も書けない」と絶賛していたという。

今の日本の演劇を作り上げた

 前出の菅原文太氏が、「彼が病気になって具合が悪いというのは風の噂で聞いていたけど、まさか亡くなるとは思ってもみなかったな。訃報が載る前日の新聞にも、新作戯曲の執筆が病気治療のため遅れると書かれていた。ただ、彼は人生を全うしたんじゃないか。遅筆が悪いこととはいえない。筆が速けりゃいいってもんじゃないだろう」と後輩の死を悼めば、「井上さんが亡くなったのは、1つの時代が終わったということです」と追悼の辞を捧げるのは先の小田島・東大名誉教授。

「彼が出てくる前の日本の演劇は、歌舞伎や宝塚歌劇を娯楽として見るか、文学座や俳優座の新劇を見て知的教養を身に着けるかというものでした。思想の表現手段として演劇を捉えている人たちもいました」

 小田島氏が続ける。

「井上さんが言葉をテコにして、日本の劇団が忘れていたエンターテインメント性を演劇に与えてくれたのです。天皇制などの社会問題を取り上げて、娯楽と一体化させました。芝居はお祭りだ、と思い出させてくれたのです。今の日本の演劇を作り上げたのは、井上さんといっても過言ではありません。今はただ、『お疲れ様でした。あなたが遺した演劇の遺産は我々が育てていきます』と言いたい」

 井上氏の遅筆は、日本の演劇界にこの上ない豊穣をもたらしたのである。

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「何か言うことはなかった」「困ったけど待とうと」――。すさまじい遅筆はなぜ受け入れられていたのか。第1回【「200字の原稿」のために3日間泊まり込む編集者も… 没後15年「井上ひさし氏」のやっぱりすごい遅筆伝説】では、担当編集者や演劇関係者らが当時の苦労を語っている。

デイリー新潮編集部

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