天皇関連の発言めぐる脅しの電話に「あっ、右翼の方ですか」…相手を絶句させた“まさかの発言” 没後15年「井上ひさし氏」の伝説
第1回【「200字の原稿」のために3日間泊まり込む編集者も… 没後15年「井上ひさし氏」のやっぱりすごい遅筆伝説】を読む
NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」や小説『吉里吉里人』など数多くの名文、名作ともに、「遅筆」の伝説を遺した作家といえば井上ひさし氏。文学や演劇、平和運動など幅広い分野で活躍した井上氏は、肺がんの闘病中だった2010年4月9日に75歳で亡くなった。生前を知る関係者が登場した当時の追悼記事では、その凄まじすぎる「遅筆伝説」や演劇界への貢献が語られている。
(全2回の第2回:「週刊新潮」2010年4月22日号「井上ひさし氏が残した『遅筆』の伝説」をもとに再構成しました)
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「私も天皇さんは好きです」
文学、演劇の第一人者として活躍する一方、天皇の戦争責任にも言及する井上氏は、右翼から攻撃を受けたこともあった。「新右翼」を自称する団体「一水会」最高顧問の鈴木邦男氏はこう振り返る。
「20年くらい前のことですが、井上さんは、『天皇は要らない』『天皇に戦争責任がある』などと発言していました。これは不敬だということで、『ちょっと脅そう』となったのです」
鈴木氏たちは電話をかけて脅したが、井上氏は、「あっ、右翼の方ですか。毎日、運動ご苦労様です」と軽くいなした上で、
「私も天皇さんは好きですし、この国を愛しているつもりです。その証拠に、歴代の天皇さんの名前も全部言えますし、教育勅語も暗誦できます。右翼の人は当然、皆、言えますよね」
鈴木氏たちは絶句するほかなかった。比較文学者の小谷野敦氏はこう言う。
「彼の戯曲『化粧』(82年)と『紙屋町さくらホテル』(97年)は高く評価できます。特に『紙屋町さくらホテル』は、天皇の側近が戦争について詰られる場面があり、その展開はすばらしかった。しかし、その後、井上氏は天皇のお茶会に出たり、藝術院会員になったりしています」
シェイクスピアの小田島訳を「一番認めた人」
昨年10月に肺がんと診断された井上氏は、11月から抗がん剤治療を受けていた。
「先生は酒をやらない代わりに、大変な愛煙家で、セブンスターを1日4箱、80本吸っていると聞いたことがあります」(担当編集者)
国会で煙草増税が決められても、井上氏は、「1箱1万円になったって止めない」と豪語していたそうだ。
東大名誉教授で演劇評論家の小田島雄志氏はこう振り返る。
「2000年に僕の古希を祝ってくれたのですが、井上さんはダジャレが好きでね。『小田島さんは古希になられたそうですが、私はすでにコキュでして』とスピーチしたんです。コキュとは、寝取られ亭主という意味なんですが、我が身を切るようなジョークを言える人だったんですよ」
73年から80年にかけて小田島氏がシェイクスピアの全訳を刊行した時には、
「彼が、『小田島訳によって、シェイクスピアは娯楽になった』と広告の文句を書いてくれたのです。まあ、当時、日本で読まれていたシェイクスピアは高尚過ぎて神棚に祀っておくものだったからね。それを娯楽にしたことに僕は満足しているし、一番認めてくれたのは井上さんだったと思います」(同)
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