入学早々に“同棲”報道も…「広末涼子容疑者」お騒がせ芸能人の原点“早稲田大入学”騒動を振り返る
静岡県警は4月8日に広末涼子容疑者を傷害容疑で現行犯逮捕し、10日には広末容疑者の都内自宅で危険運転致傷容疑による家宅捜索を行った。複数の法曹家は「薬物などの影響で、正常な運転が困難な状態であるにもかかわらずハンドルを握り、交通事故を起こして相手にケガを負わせた」可能性を県警が捜査している、と指摘した。
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【広末涼子の“全盛期”】ほぼ変装なしで地下鉄乗車、早大受験でもみくちゃに…17歳から20歳までの美少女ぶり【実際の写真】
事件の発端は7日午後6時50分ごろ、広末容疑者が運転する乗用車が新東名高速道路の上り線で大型トレーラーに追突した交通事故だった。担当記者が言う。
「県警の高速隊が事故現場に駆け付けましたが、広末容疑者は落ち着かない様子でふらふらと動き回るなど、危険な行動が目立ったため掛川署に応援を要請する騒ぎになりました。さらに病院に搬送されると、翌8日午前0時20分ごろ、女性看護師を蹴ったり、腕をひっかいたりしたため傷害罪で現行犯逮捕されたのです。掛川署での取り調べでも大声を出すなど、一種のパニック状態が続きました」
まさに衝撃的な事件であり、今も多くのメディアが詳報を続けている。ところが一部のメディア、特に民放キー局で気になる報道がある。広末容疑者が早稲田大学に初めて登校した映像を流し、これを“人気絶頂期”の象徴として紹介したのだ。
だが、当時の状況を覚えている50代以上の方々なら、広末容疑者の大学入学を日本人の誰もが祝福したかのような報道に違和感を覚えたのではないだろうか。むしろ事実は逆であり、広末容疑者の早大進学は当初から批判が少なくなかったのだ。
早大を駆け巡った噂
しかも広末容疑者の早大進学を巡っては、彼女の不可解な行動も目立った。後に「お騒がせ芸能人」と呼ばれたり、その行動が「奇行」と眉をひそめられたりするようになった“原点”と見ることも可能だ。広末容疑者の交通事故、傷害罪による現行犯逮捕を正しく受け止めるためにも、当時の経緯を振り返ってみよう。
1997年11月27日、日刊スポーツは「広末涼子 再来年大学受験 早慶視野に現役一発狙う 来年仕事をペースダウン」との記事を掲載した。この記事で騒動の幕が開いたと言っていいだろう。
広末容疑者は当時、都内の私立高校に通う2年生だった。所属事務所が取材に応じ、「本人は以前から進学の意向が強かった」と説明。目標は早慶、もしくは国立の難関大とし、プライベートでは親戚の東大生が家庭教師として広末容疑者の勉強をサポートしていることも報じられた。
「広末が大学進学」の報に、早大の学生が反応した。それをキャッチした週刊新潮は翌98年の7月16日号に「学生が反発するアイドル広末涼子『早大内定』情報」との記事を掲載した。
タイトルに「学生が反発」と明記されているのが興味深い。広末容疑者が《早慶、もしくは国立の難関大》を目指すと報じられたにもかかわらず、早大では「教育学部に合格が内定したとの情報が職員から漏れた」との噂が、あっという間にキャンパスを駆け巡ったという。
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