アリに敗れて人生が激変 一度はボクシングから離れた「ジョージ・フォアマンさん」が“返り咲き”を果たした理由 「かつては力任せの野獣だったが…」【追悼】
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は2025年3月21日に亡くなったジョージ・フォアマン氏を取り上げる。
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【写真を見る】リングの外でも圧倒的な存在感を放つ「ジョージ・フォアマンさん」
人生を変えた敗戦
1974年、当時のザイールの首都キンシャサ。プロボクシング世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンとモハメド・アリのタイトルマッチは、歴史に残る一戦となった。下馬評は圧倒的にフォアマン優位。アリは7歳年上の32歳だった。
ボクシング界を長年取材しているジャーナリストで、「ボクシング・ビート」などの元編集長、前田衷(まこと)さんは思い返す。
「アリの最後を見届ける思いで現地に赴いた。サッカー場にリングが組まれ観客は4万人以上。アリを応援する大歓声をものともせずフォアマンは攻めた。アリはロープに背を預けて打たれた衝撃を逃がし、敵を消耗させる戦法を取る。相手が弱った場面をアリは見逃しませんでした」
フォアマン、8回KOでプロ初敗北。
「ダウンした経験がない。あまりに強く、危機への対処法が分からなかったのです」(前田さん)
この敗戦が人生を変えた。
「闘う機械のような破壊者」
49年、アメリカ・テキサス州生まれ。ボクシングに興味を持つとすぐに頭角を現し、68年、メキシコ五輪のヘビー級で金メダルを獲得した。翌年プロに転向。
身長は約193センチ。腕は丸太のようで、象をも倒すと評された重いパンチを繰り出す。73年にヘビー級世界王者のジョー・フレージャーに挑戦。一方的に打ちのめし、24歳で王者に。初の防衛戦は同年、日本武道館で行われた。
「当時のフォアマンは無口で、闘う機械のような破壊者でした。アフロヘアーで表情は冷たい。完膚なきまでにたたきのめした揚げ句に勝つのです」(前田さん)
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