妻とは別に「部下のスタッフ」と20年、都合のいい二重生活はなぜ崩壊…「怖くてたまらない」51歳社長の嘆き

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【前後編の後編/前編を読む】人妻教員に惚れ、海外まで追いかけた学生時代…51歳男性を暴走&迷走させた“ぶっ飛んだ”母の教え

 清水恭正さん(51歳・仮名=以下同)には、妻とは別に20年近く関係を続ける女性がいる。彼を育てたシングルマザーの母は、破天荒なタイプ。「好きなように生きろ」「我慢なんかするな」と息子を教え育てた。その影響か、大学時代に人妻の教員を海外まで追いかけたり、卒業後もあちこちを放浪する日々を恭正さんは送った。やがて旅行者を支援する仕事を立ち上げ、アルバイトとしてやってきた同い年の美冬さんと出会い、結婚した。

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 結婚生活はうまくいっていた。美冬さんは、仕事もプライベートも一緒だとお互いに息がつまるでしょと言い、新しい職場を見つけて就職した。外資系の会社で、人間関係は淡々としているが仕事がしやすいと、彼女は仕事にのめりこんでいった。

 一方の恭正さんは、仕事がうまく回らなくなっていた。

「まあ、もともと先行きは暗かったんですよね。会社として機能していなかった。また違うことをやりたいなとも思い始めていたから、ちょうどいいかなと」

 今の仕事を辞めて他のことをやろうと思うんだけどと相談すると、美冬さんは「あなたがやりたいことをやればいい」と背中を押してくれた。彼は美冬さんに仕事のことをかなり細かく相談していた。

「妻が忙しかったので、家事や料理は僕がほとんどやっていたんです。妻は僕の手料理をものすごく褒めてくれた。『これを職業にしたほうがいいんじゃないの』とよく言っていました。家事をやるのは苦じゃないし、妻が喜んでくれるならそれでいいと思っていた」

 本当は仕事に向いていないのかもしれないと恭正さんは、ふとつぶやいた。男だから一生の仕事をもたなければいけない、家族のためにも働かなければいけないと誰もが思っているが、「実は僕には仕事が向いていない」と認識したのだという。

「妻にそう言ったら『じゃあ、専業主夫になれば』って。彼女は自分が生きづらい社会人生活を送ったことがあるから、そういうところには非常に寛容なんです。人は無理に仕事をしなくてもいい、無理に学校に行かなくてもいい。そういう考え方でした。ただ、ひとりで家事だけやっているのもつまらないから、また起業しようかなといろいろ調べていたんです」

幸せな日々が始まる矢先に…

 これからは高齢者が増えるばかりという時期だった。彼はいちはやく介護関係の仕事に目をつけた。1年間、必死で勉強をしながら事務所を立ち上げると、これがうまくいった。自分でもヘルパーの資格をとり、ゼロから実地を体験した。

「介護関係の仕事もいろいろあるので、とにかく幅広くやろうと。人が嫌がるような仕事もどんどん受けた。商品開発などにも携わりました。そんな中で、一緒に仕事をするようになった理央という女性がいたんです。彼女は3歳年上、これがまた美冬に輪をかけたようなおおらかなタイプでした。毎日、事務所に通って、理央と仕事の展開を話し合うのがおもしろかった」

 30歳になったころ、美冬さんの妊娠がわかった。子どもは自然に任せようと言っていたが、恭正さんは「なんとなく子どもは授からないような気がしていた」のだそうだ。ふたりは手を取り合って喜んだ。

「僕は実家のありようが第三者から見たら変だと気づいたけど、それでも楽しい家だった。僕ら夫婦も、友人たちに言わせると、一般的な夫婦関係とは少し違うらしい。でも家庭なんてそれぞれだし、僕らが充実していればいいわけですよね。子どもをもって、ますます楽しいチームができるんじゃないかと思いました」

 つわりで苦しみながらも、美冬さんは仕事を続けた。そんな妻をサポートしながら、恭正さんは多忙な日々を送っていった。すぐ先に今より楽しい日々が待っていると実感していた恭正さんの目に、ふと理央さんの存在が大きくなった。

「家庭が充実していると気持ちがゆったりする。そうすると他の人にも気持ちをこめて接することができる。その余波なのかどうかわからないけど、理央の魅力に改めて気づいたんですよ」

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